東京藝術大学博士課程の狩野愛さんが武蔵野美術大学の非常勤をしていて、その関係で2016年度の武蔵美の紀要に自分たちのやっている版画コレクティブに関する論文を書いた。反響があったようで、海外の学術サイトに英訳が掲載されるという。現在、英訳のための校正を入れているとのことで、過去の情報を求められたのだが、1年間だけ行っていた「国際自由メディア大学」の情報が見つからない。ということでInternet Archiveに当時のURLを入れた。
2008年にその頃はまだ存在していた横浜「ZAIM」で『カウンターカルチャーとフリーカルチャー:リビドーの新たな潮流』という発表をした時のテキストが残っていた。懐かしい感じがして、せっかくなので、このブログにも転載しておきます。
カウンターカルチャーとフリーカルチャー:リビドーの新たな潮流
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2008年9月14日に横浜「ZAIM」で行われた「フリーメディア! フリーアート!」展でのレクチャーの原稿を一部修正したものです。このドキュメントには、真理も思想も哲学もありません。フリーカルチャーに関する思考の流れを綴ったフリーソースです。
はじめに、アメリカの詩人で、グレイトフル・デッドの歌詞も書いていた、サイバースペースの自由と公正を保障する目的で設立された、電子フロンティア財団(EFF)の共同設立者のジョン・ペリー・バーロウが、1996年にアメリカ議会がインターネット上の猥褻情報を規制する通信品位法を可決したときに発表した「電脳空間独立宣言」を紹介します。
汚物にまみれた産業界と癒着した世界中の政府に告げる。醜く肥え太り正常な判断力を失った諸君ら忌むべき独活の大木どもよ、私は魂の新世界、電脳空間からの使者だ。やがて訪れる未来の為に言う、我々に干渉しないでくれたまえ。諸君は我々にとって歓迎すべからざる存在だ。この電脳空間に集う我々に対して諸君らは何の主権も持ってはいない。
さすがにイッピーらしい文章に仕上がっています。イッピーというのは、ヒッピーの死後(LSDが禁止されたことで、1968年にヒッピーの聖地、サンフランシスコ、ヘイトアッシュベリーにヒッピーたちが集まってLSD埋葬の儀式を行い、その死を宣言しました。)ヒッピーとニューレフトが合体したもので、ヒッピーのように放浪したり、コミューンを作ったりするだけでなく、反体制的な政治活動も行っていました。
イッピーのリーダー的な存在であった、アビー・ホフマンがウッドストック・フェスティバルに参加した直後、5日間で書き上げた「Woodstock Nation」という本の中に以下のメッセージがあります。
われわれは政党を組織してアメリカにうち勝とうとは思わない。新しい国家を建てて、勝つのだ──ウッドストック・フェスティバルの種子から生まれたマリワナの巻きたばこのように粗野な国家を。
この国は愛の上に建てられるだろうが、愛するためには、われわれは生き残らなければならず、そのためには闘わなければならない。われわれの戦い方は変わっているかも知れないが、その精神は昔からの──勝利か、さもなくば死を!である
26年後に書かれたバーロウの「電脳空間独立宣言」と同じ匂いがぷんぷんします。
アビー・ホフマンと共にリーダーシップをとったジェリー・ルービン(学生時代にキューバに密航、チェ・ゲバラに会って革命家になることを決心した)が1970年に出版した「DO IT! 革命のシナリオ」という本の中では、「未来のイッピーランド」という国家構想もたてられていました。そこでは、アメリカ国歌のかわりにボブ・ディランの歌が歌われ、監獄も警察も裁判所もなく、世界中が無料の食糧と家であるような一つのコミューンになって、国防省はLSD研究所となり、人々は朝は農耕に従事、昼には音楽をきき、そしていつでも、どこででもセックスできるような国を、多分、本気で作ろうとしていた人です。戦争の理由も知らされない若者が、有無を言わさず徴兵され、ベトナム戦争に連れていかれ、運が良くても人殺し、運が悪ければ戦死する時代だったということを考えると「未来のイッピーランド」が、当時の若者の理想だったとしてもそれほどおかしなことでは無いと思います。
JAZZを起点として、ケルアック、ギンズバーグ、バロウズのビートニク御三家あたりから始まり、ベトナム反戦をきっかけに大きなムーブメントに発展した、ヒッピー/イッピーに至るこの一連の主に政府/資本に対する抵抗から生まれた文化のことを、一般的にはカウンターカルチャーと言いますが、ヨーロッパや日本でも同じ時期にさまざまなカウンターカルチャーが生まれていました。日本の場合は、フーテンと呼ばれる元祖ヒッピーのような人たちや、アングラと呼ばれる人たちやがその文化を担っていました。しかし、イッピーのようにヒッピーと左翼とが協力し合うことは少なかったようです。
カウンターカルチャーはその後、暴動など過激な行動に走ったり、カルト宗教を妄信する若者が増えることによって、一般市民の支持を失い、1970年のアースデイに代表されるような政府の懐柔策もとられたり、また、カウンターカルチャー自体が資本に取り込まれ商品化されることによって、対抗する力を次第に失っていき下火になるのですが、その奥底では、デジタルの光が点滅していました。MIT(マサチューセッツ工科大学)で生まれたアナキズム的ハッカー精神とアメリカの学生運動の拠点であったカリフォルニア大学バークレー校のイッピー思想とが、サイバースペースで融合し始めていたのです。サイバースペースではソフトウェアや情報はフリーが基本です。ハッカー達は、長距離電話をタダでかけられる装置を作ったり、夜中でもコンピュータ室に侵入し、どんな人のプログラムも利用できるように、ピッキングの道具も揃えていた程です。
ヒッピーの理想は自然回帰・反文明ですので、コンピュータとは相性が合わない部分もありますが、IBMの巨大コンピュータによる管理社会の到来と戦うために、ハードウェアハッカー達の作り出したパーソナルコンピューターは革命のための武器として欠かせないものでした。コンピューターは人間の脳を真似て作られていますので、精神世界の拡張や対象化をそこに見出したヒッピー/イッピーも少なくはないと思います。また、ハッカー達のヒッピー/イッピーに対するリスペクトもあったようです。アップルコンピューターの創業者の一人であり、パーソナルコンピュータを世界に広めたAppleIIの設計者、スティーブ・ウォズニヤックなどは、ウッドストックの再来を夢見て、AppleIIの成功で手にしたお金をつぎ込んで、USフェスティバルという大規模な野外ロックフェスティバルを主催していました。
この時代の一連の流れのキーパーソンとして活躍したのが、サイケデリック革命の父と呼ばれることとなった、ハーバード大学で教鞭をとっていた心理学者のティモシー・リアリーで、LSDを人間の創造性と意識を高める媒体として、その有効な使用方法を研究したり、ときには宇宙移住計画を構想したり、晩年にはパーソナルコンピュータをLSDのような媒体として使う研究をしていました。他方、CIAはドラッグや放射線などを使った「MKウルトラ計画」というマインドコントロール研究を行ったという話しもありますので、ティモシー・リアリーを教祖化したり、LSDなどのドラッグやコンピューターをあまり神秘主義的に捉えたりしない方が良いと思います。
このように、カウンターカルチャーが様々な実験を経て、フリー基準のサイバースペースを生み出しました。MITでコンピュータにログインするためのパスワード廃止のキャンペーンを行っていた、リチャード・ストールマンが1984年に「ソフトウェアは個人の所有物にすべきではない。」とフリーソフトウェア財団を設立し始めたフリーソフトウェア運動によって、さらに先進的なフリーカルチャー運動が始まりました。カウンターカルチャーは既存の世界観に対抗するものでしたが、フリーカルチャーではその立場は逆転し、サイバースペースにおける新しい世界観に対抗する、古い権力や資本の侵入を防ぐ万里の長城として機能しはじめたのです。
現実空間の中ではその活路を見出せず衰退していったカウンターカルチャーが、なぜサイバースペースでフリーカルチャーとしてよみがえったかというと、そこにプリゴジンらの研究による、散逸的自己組織化の思考が盛り込まれたからではないでしょうか。
実験室のような閉鎖的なコミュニティでは、次第にエントロピーは増大し最後には平衡状態になり死を迎えます。たとえば、あるコミュニティがカルト的宗教観を持ってしまうとその殻は閉じ、その考え方は一様になり、集団自殺をしたり、破滅的な行動に走ったりする事実を熱力学の第2法則から読み取ることができます。ひとつの生命、ひとつの世界がその歩みを止めないためには、非平衡状態であり続けなくてはなりません。その非平衡状態を作り出しているものは自由という散逸系であり、そこにゆらぎを作り出すものは「リビドー」といわれるエネルギーで、平衡に向かおうとする時間の流れの中から新たな秩序を作り出すのは多様性です。
社会において多様性を作り出すものは、創造力です。リビドーが創造力に備給して多様性が生み出されます。創造物や器官を通してリビドーは交換されることもありますが、資本主義社会においてリビドーはマネーにコード化される確立が高くなります。(サイバースペースもコードですが、それはひとつのアルケーへと向かうようなマネーのコードではなく、ライプニッツのモナドのような、そこから多様性が生成するようなコードです。)そこでは創造力、多様性の均一化が起こり、余ったリビドーはマネーに搾取され、本来は創造力の中で流動しているリビドーはコード化されたマネーの中で増殖をはじめます。多様性は減少し秩序が乱れることでエントロピーは増大していきます。
陰陽太極図を見てください。世界をなんとか図にしようと落書きしているうちに、このかたちにどんどん近づいていきました。このトポロジックな図は思いのほか世界を表現しているように思います。黒い部分が政府、白い部分が資本と思って見てください。産業革命から前世紀までは上半分。政府が資本を包み込むようなかたちです。現在は下半分、資本が政府を包み込むようなかたちに変化しました。(産業革命以前は、黒い部分が宗教、白い部分が政府だったのかもしれません。)
政府が資本を包み込んでいた時代には戦争を起こすことで、暴走する資産経済を兵器の売買という実体経済に無理矢理引き込み消費することが可能でした。バタイユ的にいうと、剰余は蕩尽されなくてはならないということです。しかし、二度の世界大戦を経て、その代償があまりに大きいということを知りました。最近のアフガニスタンやイラクの状態を見ても分かるように、いまや社会のエントロピーを減少させられるような戦争を起こすことはもう出来ません。資本が政府をも包括してしまった現在、社会にとっては癌とも思える行き過ぎた資産経済の暴走を止められるものは、フリーカルチャーしかありません。剰余マネーを無料によって消尽させること。フリーであることがひとつのカルチャーとして成り立つような論理/行動を世界は求めているのです。創造力をフリーに流通させることにより、リビドーの新たな潮流が始まります。マネーにそのエネルギーを搾取されることなく多様性を増大し続け、それが閾値に達したとき「無償の秩序」が現れ、社会の新たなパラダイム、より良い世界が開けるのではないでしょうか。
最後になりますが、Wiredのケヴィン・ケリーの書いた「「複雑系」を超えて—システムを永久進化させる9つの法則」にあるスチュアート・カウフマン(複雑系科学、生物進化学)との議論の中で、カウフマンが語った言葉をお伝えして終わりにします。(カウフマンは、理論生物学者で複雑系の研究者です。「自己組織化と進化の論理」という本の中で、生命の起源やその進化、さらには生き物の秩序や進化する当の能力「無償の秩序─自然に生じた自己組織化」が関わっているのではないか。といっているような人です。)
「これは全く直感的なものですが、フォンタナ(ウォルター・フォンタナ/カウフマンと同じく、サンタフェ研究所(複雑系研究のメッカ)の研究員だった)の『記号列から記号列が生じ、その記号列からさらに記号列が生じる』という考え方から『創造行為から創造行為が生じ、その創造行為からさらに創造行為が生じる』へと進めば、それが文化的進化へと、さらには諸国民の富へとつながることは、あなたにも感じることができるでしょう。」