1941(昭和16)年にシュルレアリスム事件と呼ばれる弾圧が起きる。評論家の瀧口修造と美術文化協会の福沢一郎が8か月もの拘留を受けた。1925年に治安維持法が出来ているのだから、もはや誰だって捕まえられる。その後は翼賛的な宣言文を書き、自粛しつつ会を存続することにしたようだ。その「美術文化協会」に作品を出品していたのが、丸木位里・俊である。丸木夫妻もまたシュルレアリストであったのだ。丸木位里は水墨画の技法「流し込み」にシュルレアリスムを見ていた。原爆の図でも、これでもかというほどに流し込みの技法が使われている。アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言にある「だれだれはなになににおいてシュルレアリストである」に倣って言えば、「丸木夫妻は反核・反戦においてシュルレアリストである」となるはずだ。