俺達の文句 望月桂
俺達のパンは奪われ着物は剥がれて、もう何を考える気力もなければ、首を括る元気さえなく虫の様に只動いているのだが、一体今迄俺達は、当てにもならぬものを鼻先へ釣り下げられて欺されて歩けばよし、一寸でも躊躇しようものなら直ぐに、イヤと云う程尻を打たれて歩くことを余儀なくされて来たのだ。是れが人間の一生なら実に犬猫の方が遥かにましだ。そうかと云って犬猫にはなれもせず、成りたくもない。そこには飽く迄人間としての生活を求めて止まない理想があるのだ。然し又どんな理想があったにしろ、徒らに棚から牡丹餅を夢みていたからとて埒が明かないことも、独りで幾ら力んだとてそう安価に得られもしない事は良く知っている。社会生活をしている俺達は、唯民衆と供に…と云う事が第一条件で、こんなくだらぬ社会に先ず見限りを付け、次に新社会を建設するのだが創造前に一つの大事なことのあるのを忘れてはならない。其処で俺達は最も単純な方法として人間の感情生活の主なる事を知っている。自己の事を自分で決行するに誰に遠慮がいろう。只欲する儘に仕度い事をなし、厭な事はやめるのだ。是れが俺達の偽らざる真に唯一の生き方だ。成程こう云い放しだけでは如何にも理智を蔑にする様に聞こえるかも知れんが人間生活に理智は不必要だと云うのではない只偶像崇拝的な乾からびた様な屁理屈に引回され追い回されて小さく成っていなければならぬ様な時には確かに邪魔である。理智は人間の感情生活のをよりよく自由に為さしめるために必要だ。永い歴史が教うる参考としての突っかい棒である。吾々人間行為を主観的に決定するもの矢張り感情であると思う。某一本倒すにしても只頭の中で理屈を言い合ったからって倒れはしない。それよりも先ず思うままに手を出すとぶっつかる事だ。俺達の賃銀値上、時間短縮は勿論、総ての権力の獲得は、只腹を膨らますためや、寒くなへだけ着るためや、雨の漏らぬ処、風の吹かぬ処で休むためのみではなく、物質的に十分な欲望を充たし、尚且つ精神の享楽をも恣に仕度と云う所謂自由を要求する生の力の表現である。絵でも、文でも、字でも、音楽でも、其の他全ての労働でも、俺達に不必要なことは止めて、必要なことのみ、他人手をまたず直接各自に於いて、意の儘に振舞ってこそ初めて社会的にも、個人的にも真に自由な芸術的生活が生まれよう。斯うなれば他人に強いることも寄りかかる事もなければ不平も起らぬ。天下は此の時初めて泰平だろう。