明るい未来見えず…原子力PR看板撤去へ

原発震災後にメディアで散見されることになった、双葉町の原子力PR看板。特に「原子力明るい未来のエネルギー」という看板と標語は、アウシュビッツ強制収容所の入り口に建てられた、「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」と直結する。昨年、原爆の図丸木美術館で開催された「今日の反核反戦展2014」にA3BC(反戦・反核・版画コレクティブ)で出品したバナーの一部としてシンプルな木版を作成した。空に漂う雲は エドヴァルド・ムンク「叫び」から引用した。

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2015年3月11日、東日本大震災から4年目を迎えた日、河北新報オンラインニュースに双葉町の原発看板撤去のニュース記事が掲載された。

「明るい未来見えず…原子力PR看板撤去へ」
東京電力福島第1原発の立地町で、全町民が避難している福島県双葉町は、原子力のPR看板を掲げた町内2カ所のゲートを撤去する方針を決めた。老朽化が理由。看板は、原発との共生を目指した町の象徴だった。帰還困難区域の町中心部で町道をふさぐように倒壊している家屋も除去する。
新年度の一般会計当初予算案にゲートの撤去費410万円と、家屋除去を含む町道環境整備費3200万円を計上した。
国道6号に面した町体育館前のゲートは1988年の設置で、表裏に「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しい理解で豊かなくらし」と表記。役場入り口のゲートは91年に完成し、「原子力郷土の発展豊かな未来」「原子力豊かな社会とまちづくり」と書かれている。標語は町民から募集した。
ともに鉄骨やトタンで造られ、文字板はアクリル製。長期避難で管理ができず、腐食が進んだ。町復興推進課は「作業員や一時帰宅した町民の安全性を考え、撤去を決めた。標語の内容は関係ない」と説明。伊沢史朗町長は「保存は考えていない」と述べた。
撤去は夏以降になる見通し。いわき市に避難する男性(57)は「安全神話が崩れ、避難している町の現状を考えれば、看板の言葉はふさわしくないが、町の歴史を表してもいる。撤去は一つの節目で、複雑な気持ちだ」と話した。
道路に倒壊した家屋の除去は、旧国道の町道沿いにある11カ所が対象。所有者の了解を得た上で、道路にはみ出した部分を取り除く。地震や長期避難による老朽化で崩れた家屋は、無人と化した町の荒廃を物語っている。
河北新報オンラインニュース

そのまま無人の街に建ち続けさせるわけにもいかないのだろうが、こういう教訓はきちんと保存するべきと思う。

三陸海岸沿岸には200基もの津波記念碑が建てられていると聞く。
高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に 家を建てるな。