デジタルカメラと違って、フィルムカメラはフィルムを撮り終えて、現像に出すまで写真を見ることが出来ない。街の景色でも撮ろうかと、荻窪駅あたりを散歩していると、環八の立体交差の車道にお婆さんが倒れていた。頭から少し血が流れている。数人の通行人が囲んで気遣って声をかけたり、救急車を呼んだりしていた。どんな人でも倒れている人を見捨てることは出来ないのだ。
アルフォンソ・リンギスは『何も共有していない者たちの共同体』でこう述べている。「人が出かけていくのは、そこに行くように駆り立てられるからだ。人は、他者が、彼または彼女が、ひとりきりで死んでいくことのないように出かけていくのである。」
通りかかった訪問診察帰りの看護師が、手を血だらけにしながら手当てを始めた。朦朧としていたお婆さんの意識も次第に戻り、看護師との言葉の受け答えが出来るようになる。もう大丈夫だ。しばらくすると救急車がやってきて、お婆さんは病院へ向かった。こんな時にシャッターを押すことの出来ない自分にジャーナリスト魂は無い。
1960年、右翼少年、山口二矢が講演中の社会党委員長の浅沼稲次郎を刺した時、その決定的な瞬間を写真に収めたカメラマンを責める言説があった。なぜ、カメラを投げて、襲撃を止めようとしなかったのかと。彼はジャーナリストとしての仕事を果たしただけだったろうに。そしてその写真は1961年のピュリツァー賞を受賞した。
救急車を見送った後に、それぞれ声を掛けながら、それぞれの日常に戻る。アスファルトに滲んだ血を背にして、晴天の午後の太陽に光る駅前のビルに向かってカメラのシャッターを押した。
子どもだった頃ぼくは太陽が好きだった。目をつぶって、まぶたの隙間から見ると、まっ赤だった。太陽は怖ろしかった。爆発を連想させた。まるで光が爆発したように、舗道の上に流れている血以上に太陽的なものがあっただろうか?
ジョルジュ・バタイユ『青空』