1920年4月2日、3日の二日間、牛込築土の骨董屋同好会に於いて、黒耀会第一回展覧会が開催される。出品者36名、83点(百数十点との報道もある)の作品が、多くは画鋲、テープで所狭しと並べられた。「現在の芸術を打破して自主的の芸術を樹とする(東京日日新聞)」。日本における「プロレタリア美術展」の始まりとして、各紙新聞などマスコミも「芸術の革命」「民衆芸術の実践」として、好意的に紹介している。
企画段階で、有島武郎など交えて出品作を審査する提案を行った大杉に対して、望月は無審査で行うことを主張し、黒耀会はアンデパンダン展として開催される。アンデパンダン展は、既成の判断基準で作品を選別することなく、制作も鑑賞も各人の自主性に任せることで、芸術表現の自立や革新を促すことに重点を置く、展覧会の方法である。
展覧会を見に来た労働運動の仲間の一部から「芸術運動なんか生ぬるい、そんなものが、俺たちの何になろう」との批判があった。黒耀会の丹潔は批判に対し「警察に暴れ込むのも会合を開くのも実際運動であろう。しかし物騒な絵や文字を民衆に見せるのも、実際運動だといえる。それらは○○の前提ではあるが」と答えている。