1921年12月24日~27日に北甲賀町の駿台クラブで第三回黒耀会展とされる「民衆芸術展」か開催される。この展覧会は秋田雨雀が読売新聞紙上でソ連の飢餓救援を呼びかけた「日本の芸術家諸君!」に応答したものだった。その数日前に、堺利彦、大杉栄が企画した展覧会がソ連支援を謳ったために中止命令を受け、弁護士の布施辰治や望月桂が尽力して、再開催された。
この展覧会は第一回、第二回黒耀会展と同じくアンデパンダン形式で行われ、望月桂はじめ黒耀会会員も数多く出品したが、展覧会の目的はソ連飢餓救援のための即売会であり、秋田雨雀、有島武郎、高村光太郎、北原白秋、島崎藤村、小川未明など、当時の著名人が数多く出品したことが新聞等に大きく取り上げられるなど、黒耀会の理念からは大きな隔たりがあった。