へちま時代からの民衆芸術運動の同志であった久板卯之助を失い、黒耀会に対する当局の圧力、アナルコサンジカリスト(自由連合派)とボルシェビスト(中央集権派)の対立の激化、望月桂は次第に民衆芸術運動、労働運動から距離を置くようになり、古田大次郎が創刊した『小作人』の発行を通して農民運動へと活動の場を移してゆく。望月は第一回黒耀会展の直後に日本紙器株式会社でストライキを起こし、勝利したのちに退職し、同人図案社を立ち上げていたのだが、貧乏暇なし、活動の時間と資金を確保しようと印税収入を目論んで、1922年11日、アルス出版から大杉栄と共著で『漫文漫画』を出版する。大杉栄が稿料の全てを使い果たしてしまったので、望月の懐には一銭も入らなかったが、これが望月の唯一の(漫)画集となった。
彼奴年来の主張とかいう『自主自治、相互扶助』に祟られて、明日食う米も無くなったので、一策を案じた結果、大杉栄を引っ張り出して『共著』と銘打って出したのが、今度の『漫文漫画集』なんだ。読者諸君も此の種が判ったらドシドシ買ってやってくれ
『労働者』1922年
望月桂の絵もまだまだです
大杉栄
これが僕の癖、しかもちょっと何かに困った時にやる癖だそうです。
が、僕の癖をつかまえるのなら、そんなつまらない癖でなく、もっともっと面白い、いい癖がある筈です。それは例の吃りから、金魚のように飛び出た大きな目をぱちくりぱちくりやりながら、やはり金魚のように口をぱくぱくとやって、そして唾ばかり飲みこんで何にも云えずに七転八倒しているところなんです。
それがつかまえられないで、こんなつまらないところしか描けないようじゃ、望月の絵もまだまだ駄目です。
『漫文漫画』