民衆芸術運動(16)

1922年9月30日、大阪天王寺公会堂で労働組合の全国統一連合を結成すべく「日本労働組合連合」の創立大会が開かれるも、アナ・ボルの対立により決裂し、大会以降その対立は激しさを増していく。

1923年9月1日、関東大震災が発生する。戒厳令下において、軍隊、警察とその主導により組織された自警団による朝鮮人、社会主義者への襲撃、虐殺が横行し、望月桂の自宅にも憲兵に扇動された自警団が押し掛ける。警察が介入し、保護を理由に望月は駒込署に留置された。

1923年9月16日、震災後行方が不明だった大杉栄の弟勇一から手紙が届き、大杉栄と伊藤野枝は伴だって避難先である会社の同僚の家へ向かう。勇一は妻と妹、橘あやめの息子宗一と無事に避難していた。宗一を連れ、柏木の自宅に戻る道すがら、陸軍憲兵大尉の甘粕正彦ら憲兵に連行され、大手町の憲兵隊司令部でまだ幼い宗一ともども虐殺される。