大杉栄らの遺体は家族に引き渡され、9月26日に火葬され労働運動社に祭られた。駒込署に勾留されたままだった望月に尾行が「大杉さんがやられました」と告げ口したのは、震災からひと月が過ぎた10月1日だった。10月5日には釈放されるが、震災の被害が収まらず、大杉の葬儀さえ後回しにしないとならない状況の中、家族を連れて長野明科の実家に身を寄せる。11月末には東京に戻り、第四次『労働運動』の刊行を手伝い、12月26日に行われた大杉栄の葬儀にも参列した。その前夜の通夜に、焼香客を装った三人組の右翼が突然拳銃を発砲しながら、大杉の遺骨を強奪する。逃げ遅れた下鳥繁造を和田久太郎が取り押さえたところへ望月も追いつき、怒りにまかせて下鳥の顔を下駄で踏みつけにする。告別式は遺骨不在の中、予定通り谷中斎場でとりおこなわれた。