一九一九年(大正八年)にドイツでヴァイマル共和国が成立した。四月にはマルクス主義者であったウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受けたヴァン・デ・ヴェルデの工芸学校を引き継ぐ形で、バウハウスが設立される。
同年、一一月一八日、信州神川村(現長野県上田市)で、創作版画運動や自由美術教育で奮闘していた画家「山本鼎」と地元の篤志家「金井正」の連名で作成された冊子『農民美術建業之趣意』が配布される。
日本における農民美術運動が狼煙を上げたのだ。
農民美術建業之趣意
農民美術、PEASANT ARTは何れの國にもあるが、是れを現に、組織的に國家の産業として奬勵して居るのは露西亞である。其製作品は廣く歐米に輸出せられて遂年其額を加へ、PEASANT ART IN RUSSIA の名は今まさに、美術的手工品及手工的玩具の市塲に首座を占めて居るのである。
農民美術とは、農民の手によって作られた美術工藝品の事であって、民族的若くは地方的な意匠、――素朴な細工――作品の堅牢、等が其特徴とせらるゝのである。
日本にも農民美術と稱す可きものが昔から、各地にあるにはあったが、其製作上の方針が頗る消極的で、何等の産業的組織も、美術的奨勵もなかったために、段々製作品の美的價値が低下して、終に機械力に壓倒されて衰亡してしまったものが多く、今日では、外國に對してPEASANT ART IN JAPAN と名づく可き何ものも無いのである。
而も吾が國は由來、美術工藝に就ては、アテネの大美術にも比肩す可き光榮ある成蹟を有して居り、本能も趣味も共に頗る美術工藝に適した民族なのである。
されば、此處に若し、或る國家的理想と、微細にして廣汎なる産業的組織とを以て、美術的手工品の製作を奨めたならば、必ず愉快なる成果を見るに違ひない。
私が露西亞の滞在に心をとめたのは其處である。
PEASANT ART IN RUSSIA に對比す可き、PEASANT ART IN JAPANを今日に興して、民族と時代との特色を工藝美術の上に現し、以て其名譽と利益とを國家に捧げんかな、と建業の志を固めたのも其處である。
建業の志は、同志の協賛によって、此處に具体的の方針を得、まづ、本年に事を創めて、明後年の末までには少くとも、男女約百名の農民美術家を作り、若干種の製作品を公表發賣するまでに進めやうといふ事に一決した。
それで、吾々は最初の志望者を募らむが爲に此趣意書を作った次第であるが、此處に一と通り、建業の目的と其方法を述べる事にする。
建業の目的は、汎く農民をして農務の餘暇を好む處の美術的手工に投ぜしめて、各種の手工品を穫、是れを販賣流布しつゝ、終に民族と時代とを代表するに足るPEASANT ART IN JAPAN を完成し、以て美術趣味と國力とに稗益せんとするのである。
吾々の製作品目は、木彫玩具――彫刻を施したる文房具――装飾せるくりもの――繍刺及染色したるテーブル掛け、クツサン、袋物用の布、――簡單なる陶器――椅子、テーブル、書棚等の小家具――壁紙等に及ぶのであるが、すべて必ず手細工に依って作られ、若し機械製品に對して經濟的の競爭をまぬがれ得ざるものとすれば、それは、農務の餘暇に作らるゝ事、産出面を充分擴げ得る事、及それに對する特別なる産業的組織によって、支持せらるゝであろうと考へる。さて、事業の方法が最も重要である。
吾々は是れを大体、露西亞のクッタリヌイミユゼエの形式に學むで、第一期の終りに(吾々は事業を大体三期に分けた)は秩序ある農民美術學校及、製作品の販賣部を設けやうと思って居る。即ち農民美術學校では製作上の意匠圖案(是れが此事業の最も重要なる部分で、私は、吾が民族の槫統を注意した意匠――形式美と地方色とを調和したる圖案に就て目下たえず研究して居る)を決定し、常に製作法を研究して是れを教授し、以て各地に供給すべき専門的の農民美術家を養成するのである。
製作をどういふ風に勸め集めるかといふ事はまだ決定して居ない。製作と販賣との關係に就いてもむろんはっきりした考へはない。それ等の事は、最初の販賣を試むるの日、即ち豫定する明後年の末までには自づから定まるであらう。前に事業を三期に分けたといったが、大体こうである。
第一期――玩具、文房具、箱、テーブル掛、クツサン、等の意匠、圖案、製作法を決定し、練習所を神川村に置き、志望者を教導して、若干の農民美術家を作り、其製作品を公表發賣し、更に漸次志望者を収容して産業面を小縣一郡に及ぼす事。
第二期は――更に陶器、染色物、等を加へて、神川村に農民美術學校を建設し、産業面を長野縣下に壙げる事。
第三期は――更に小家具、壁紙、等を加へて、産業面を全國に及ぼし、東京に農民美術學校及陳列販賣所を置く事。(販賣の方法は最初は依托販賣後には獨立した販賣所を設ける)
以上は、今日に於ける吾々の希望と、計劃とであるが、なほ私には農民美術に附帶する有意義なる社曾事業が考へられて居る。併し企望ばかり陳列してもしやうがない。勇氣と智慧とはすべて實行の路上に與へられねばならない。
どうぞ、吾々の趣意を了解せらるゝ諸君には直接と間接とにかゝわらず力を添へて戴き度い。私は勿論決して急がない、併し決して又憩まない。まづPEASANT ART IN JAPAN が立派に産業的組織の上に完成したな、と見た日に、はじめてゆっくりと睡るであらう。その睡こそ永遠に覺めなくてもかまわない。
では、別に示された方法によって、諸君が悦むで募りに應じられ、製作を練習し製作を提供せられん事を希望します。
(山本誌す)
大正 八年 十月
山本 鼎
金井 正