民衆芸術運動(3)

大正5年、早稲田文学に本間久雄の「民衆芸術の意義及び価値」が発表される。ロマン・ロラン『民衆芸術論』、エレン・ケイ『更新的教養論』を参照しながら、民衆芸術を定義しようとした。民衆芸術とは「惨めさと醜さがあるばかりの民衆」を教化するものであり、高等文芸に対して、通俗文芸であると定義づけた。この民衆芸術の定義に関して、様々な反論が起こされる。中でも大杉栄は、『民衆芸術論』、『更新的教養論』を精読し、大正6年10月の早稲田文学に「新しき世界の為の新しき芸術」を発表して、本間の誤読を指摘するとともに、民衆芸術の再定義を行っている。大杉栄によると「民衆芸術の問題は民衆にとっても亦芸術にとっても、実に死ぬか生きるかの問題」であり、その条件は、①娯楽であること。②元気の源であること。③理知の為の光明であること。「歓喜と元気と理知と、これが民衆芸術の主なる条件である。其他の諸条件は自然と備わって来る。そしてお説法やお談義は、折角芸術を好きなものまで嫌いにさせてしまう。手段としても極めて拙劣非芸術のものである。」

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大杉栄は続ける「しかし、此の主として「民衆の為めの」芸術が民衆に享楽されるようになるには、又彼の本当に「民衆の」芸術が生れるようになるには、先ず其の「民衆」が必要である。」と。同じ問題意識をジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリが『千のプラトー』で述べている。

芸術家はこれほどまでに民衆を必要としたことはかつて一度もなかったのに、民衆が欠けているということをこの上なくはっきりと認識する。つまり民衆とはいちばん欠けているものなのである。通俗的な芸術家や民衆主義の芸術家が問題なのではない。<書物>は民衆を必要とすると断言するのはマラルメであり、文学は民衆にかかわることだというのはカフカである。そして民衆こそ最重要事項だ。しかし民衆は欠けていると述べるのはクレーなのである。