父親のつてなども頼って、なんとか旅費を捻出した鼎は、明治四五(一九一二)年、神戸港からフランスに向けて旅立つ。最初の寄港地門司で早速女を買った。上海、香港、ペナン、ポートサイドと船が寄港するたびに、酒を飲み、様々な国の女を買っている。失恋の痛手が大きいとはいえ、この精力的な行動は鼎ならではのものだろう。五三日間の旅を終え、八月二四日に目的地のパリに到着した。
美術学校を探し入学するものの、旅程での散財のため、必要にかられて、版画工房を紹介してもらい木版の彫師の仕事をしたりと、学校に通う時間もあまりなかったが、船旅でのスケッチをもとに、友人に頼んだ日本での頒布会用の版画を制作したり、学校でエッチングを試したり、モデルを頼んで人物像を描いたり、時にはロンドン、イタリアにまで足を延ばし、スケッチや美術館巡りをしている。滞在中には歌人の与謝野鉄幹・晶子、小説家の島崎藤村、画家の児島虎次郎、小杉未醒、藤田嗣二、安井曾太郎、梅原龍三郎などとも交遊する。パリに来た友人や日本にいる知人に借金を重ねながらも、三年半の滞在生活を送った。