モスクワのメディチといわれた大富豪サッヴァ・マーモントフが、ウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動の影響を受け、一八七〇年にモスクワ北部のアブラムツェボに別荘を購入し「美術家連盟」を設立、中世ロシア美術の復興を目指した。ロシアではキリスト教のイコンがほとんどの家に飾られていたり、イコンの大衆化であるルボークという版画が愛好されていた。民衆の生活の中に美術があったのだ。一八六一年の農奴解放令によってもたらされた農民所有地の負債化の問題などで、自由な農村共同体を目指す「ナロードニキ運動」が興り、その啓蒙のために、本になったルボークも多く出版されている。
ロシアにおける文芸復興と大衆芸術の興隆のなかで、創造美術教育や農民美術運動が盛んになった。日本の箱根細工の七福神を入れ子にした福禄寿から発想を得たとされる、ロシアの民芸品として有名なマトリョーシカが、一九〇〇年のパリ万博で受賞するなど、民衆芸術が評価を得ていく。政府の側からは農民の負債解消のため、社会主義側からは農民の自主自立の要として、政府、反政府双方から推奨されていく。