「セブンティーン」の猫がいて、15年ぶりに医者に連れて行った。
「エコロジーライフ」というコマーシャルなキャッチコピーがあったが、特に原発爆発以降、「人生のエコロジー」について考えなければならなくなったのだと思う。
「産業としての農民美術の成立について」 金井 正・著より
「産業が成立する」と、云うことを、製作品が利益あるように売れるという意味に解すれば、私共はこの質問に対して何とも答えることが出来ない。「安全なる利益」を先に考えるならば、新しい仕事を創めるほど馬鹿らしいことはない。
ロシア人形をみて「やってみたいな。やってみよう」と最後の決心をするまでに私共を動かしたものは「売れる、売れない」とか「確実な利益」とかいうよりは、もう一つ手前のものであったろうと思う。「人生の自然に根拠をおく仕事」ということの直覚が私共を最後の決心にまで動かしたのだということを今はっきり分かってきた。人生の自然に根拠をおかないような仕事は、それによってどんなに多くの利益が得られても結局それは廃滅するか、又は人生を救い難い堕落に引きいれるかに帰着する。