社会生活を拒否する者

高円寺中通り商店街にあるフィルムカメラ屋の新店舗のドアの取り付け作業を手伝う。以前、建築労働の仕事をしていた時期があった。親方もやったので、建築に関わる大体のことは作業しないまでも分かっているつもりだ。今回は彼が手に入れた既製品のサッシ引き戸を使ったので簡単だった。ドアまで手作りすると結局高くついたりするものだ。

宮大工ぐらいになると違ってくるとは思うが、町場、野丁場では、多くの場合、効率の良い簡単な仕事が儲かる。高い技術が必要な複雑な仕事はあまり儲からない。体力勝負ではあるが、技術の低い連中の方が儲けることの方が多かった。辞めてから20年も経つし、IT化も進んでいる今現在の状況は分からないが、現場作業はそれほど変わっていないだろうと推測する。一つのグループとして儲けた金を分配するのだが、技術の低い職人の方が儲けている。技術の高い職人に簡単な仕事を振れば、もちろんより作業が進むのだから、技術の高い職人に多く払うのが当然だと思うが、職人は作業の大体の単価を知っているので、人工(賃金)の差がコンフリクトを起こす。職人は具体的な仕事とその量を、自分の体を使って儲けている(自立している)という誇りがあるからだ。…というようなことを考えながら作業をしていた。人工を払うと言われたが仕事ではないので、無料奉仕。いつか酒の一杯でもおごってもらおう。

懇切丁寧!良いフィルムカメラ屋さんです。
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釜ヶ崎の「栄光ある伝統」において、インフラとは資本による生産物としてのみあるのではない。それは同時に、日雇労働者の手によってこそ生み出される建築作品であり、労働者たちの誇りの拠り所でもあったのだ。
(中略)妻木(進吾)は、野宿生活者の生活史データを丹念に読み解きつつ、「社会生活を拒否する者」とラベリングされる者たちの内面の奥深くに、徹底した「労働による自立」の意識が根差していることを見出した。かれらは、その生活の前史において内面化された労働規範のゆえに、「誰の世話にもならず自前で生きていくこと」を強く希求する。だからこそ、自立支援施策等による市民社会からの保護や包摂をかたくなに拒み、過酷極まりない野宿を生きるのである。

『叫びの都市』 原口剛 2016年 洛北出版