狐と狸の化かし合いが社会全体を覆っている。混沌は暴力を呼び覚ます。そこで善や愛を歌うことも出来るが、あっという間に資本に回収され、そこで作られたムダ金が格差を生み出し、化かし合いに使われる。非暴力であることは、言葉に頼ることになりがちだが、プレカリアートをマルチチュードと言い換えてみたところで、事態は何も変わらない。今、決定的に欠けているのは心のきれいさだ。
一人の少女に出会った。少女という言葉が何歳までを指し示すのか知らないし、ここでは関係がない。少女はこころのきれいさの象徴なのだ。少女はプロではないシンガーソングライターだ。ヒット曲を作るためには資本への忠誠が必要だが、作りたいときに曲を作り、歌いたいときに歌う。これがほんとうの音楽というものだ。そして彼女の流れるような曲や歌声や仕草、音程の揺らぎに心のきれいさがにじみ出してくる。彼女たちは「いちご牛乳」というバンドを組み、気が向いたときに「苺一会」というイベントを開いている。ダジャレにさえ心のきれいさ可愛さが込められるものなのだ。「真愛 – Zhen Ai」という二胡と箏の演奏で歌うオリジナル曲もある。アジアの感性のひとつの表現だ。いま、彼女はイランの音楽を日本で紹介したいと研究に励んでいる。