わたしの被爆体験と原爆の図展

原水爆のことを考える機会が多くなった。土曜日には井伏鱒二の「黒い雨」を読みつつ原爆の図丸木美術館に「西岡洋さん公開トーク 「わたしの被爆体験と原爆の図展」について」を聞きに行く。簡単な報告を書いたので転載します。

西岡さんは長崎での被爆者で、占領が解かれ原爆に関する情報が解禁された1952年に在学していた都立大学の学園祭で「原爆展」が開かれ、各学部による専門的な研究発表が展示される中、長崎のパノラマ写真の前で被爆体験を語ることになったそうです。その後、都立大学で作成したパネルは「東京都平和委員会」に請われて、原爆の図の巡回展で原爆の図とともに展示され、西岡さんも被爆体験を様々な場所で話したとのこと。山口など都内以外の巡回展に参加していたそうです。その際に、原爆の図の初期三部作が二部あることに気づき、その良否について議論した話なども。井の頭にあった昆虫学者の平山修次郎の私設の昆虫博物館で開いたときの写真もあり、人が並んだという話。印象的だったのは、当時13歳だった西岡さんは、悲惨な状況下で無感情になってしまい、外を歩いている時に焼けただれた人たちに水を乞われた際、振り払って逃げてしまったことを一生の後悔として背負っていることでした。

大阪にあるシアターセブンで公開中のドキュメンタリー「いのちの岐路に立つ ~核を抱きしめたニッポン国~」の中でも証言されているとのこと。

次の日、日曜の朝に電気ケトルの湯気で腕をやけどしてしまった。無意識のうちに被爆の追体験をしたかったのかもしれない。直径3センチ程度の水ぶくれになり皮膚が変色したのでハサミで破って皮膚を剥がしキズパワーパッドを貼った。体液が浸出して膨れ上がっている。