レジュメ:神話と共同体《プロメテウスとしてのヴァン・ゴッホ》

明治大学大学院教養デザイン研究科 特定課題講座 「風に吹かれて―テントは世界を包む 2018」

神話と共同体《プロメテウスとしてのヴァン・ゴッホ》

2018年6月12日 上岡誠二 (芸術活動家、自由芸術大学)

ギリシャ神話の英雄〈プロメテウス〉は神々の火を盗み人間に与えた。炎の画家〈ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ〉は1880年12月23日、左耳を自分の身体から盗みとり、ひとつの太陽としてわたしたちに贈与した。共同体を夢見て「人間たちの血にまみれた神話(ジョルジュ・バタイユ)」となったゴッホの太陽に焼かれて、いくつもの試みが行われた。その情動と可能性をバタイユの体験や白樺派の情熱を手がかりに考えたい。

産業革命以降、機能的に形成された共同体(ゲゼルシャフト)が、それまでの生の要請によって有機的に生成する共同体(ゲマインシャフト)に侵食することにより、「失われた共同体」という意識が生まれました。その喪失感に対して、トルストイ運動(1880年代)など、さまざまな共同体の実践が行われます。芸術においては、秘密結社的な「ラファエロ前派」(1848〜1853)から、近代における芸術共同体というものが試され、ウイリアム・モリスの「アーツ&クラフツ運動」(1880年代)、印象派のような芸術理論によるグループ、未来派から表現主義、ダダ、シュルレアリスムを経て、現代に続くコンテンポラリーな芸術集団が数多く出現しています。そのような要請のなかで強烈に共同体を求めた画家がヴィンセント・ヴァン・ゴッホです。ゴッホによる「画家協同組合」という共同体への試みは、自らの耳を切り落とすという悲劇的な結末を迎えますが、その悲劇は「現代における共同体の運命に関する決定的な体験を最も遠くまで辿った人物である(J=L・ナンシー)」ジョルジュ・バタイユの共同体へと繋がっていきます。日本への影響としては、ゴッホ受容の先鋒であった「白樺派」の武者小路実篤が「新しき村(1918)」を日向の地で開村し、ゴッホの絵を短歌で詠んだ宮沢賢治は「羅須地人協会 (1926)」を設立しています。また、バタイユの「アセファル」を通すことで、三島由紀夫の「楯の会」決起への影響を見出すことも可能です。

  1. 近代における共同体の要請―共同体とは何か
    資料:「無為の共同体」J=L・ナンシー『無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考』以文社 2001年 p.19-23
  2. ゴッホの生と共同体―ゴッホの手紙から
    資料:ゴッホ年表、『ゴッホの手紙』抜粋
  3. 新しき村と羅須地人協会ー日本でのゴッホ受容と共同体
    資料:「土地」 武者小路実篤『新しき村の創造』富山房百科文庫 1977年 p.140
    資料:宮沢賢治『農民芸術概論綱要』
  4. ゴッホ神話とバタイユープロメテウスとしてのヴァン・ゴッホ
    資料:「プロメテウスとしてのヴァン・ゴッホ」ジョルジュ・バタイユ『ランスの大聖堂』 みすずライブラリー 1998年 p.32-40
  5. 恋人たちの共同体ーゴッホ/バタイユの恋愛
    資料:ジョルジュ・バタイユ『魔法使いの弟子』 景文館書店 2015年 p.18-20、p.27-32
  6. アセファル(無頭人)と三島由紀夫ー「楯の会」決起と自決
    資料:「刑苦への追伸」ジョルジュ・バタイユ『内的体験』現代思潮社 1994年 p.339-342
  7. 大江健三郎の危機感、嫌悪感ー山口二矢「浅沼稲次郎暗殺事件」
    資料:大江健三郎『政治少年死す (セブンティーン第二部・完)』文学界 1961年2月号 p.45-47
  8. まとめー共同体をもたない人びとの共同体

明治大学大学院教養デザイン研究科紀要 いすみあ 11号

丸川哲史さんのお誘いを受け、昨年行われた明治大学大学院教養デザイン研究科主催の特定課題講座「風に吹かれて テントは世界を包む2018」でゴッホや共同体について話をさせていただいた。和泉校舎の中庭に出現したテント劇団「野戦之月」のテントの中で行う講座だ。共同体の話をするには最適な場所でした。
講座の報告として、今年の三月に発行された紀要「いすみあ」に丸川哲史さんが文章を書いてくれていた。その時出会った「野戦之月」の今秋の公演の手伝いも終わり、次のステップに進むために丸川さんの報告をこのブログに掲載したいとお願いしたところ、快諾をいただきましたので、以下に掲載します。


いすみあ 11号(2019・3)【特定課題講座】 上岡誠二講演

「神話と共同体〈プロメテウスとしてのヴァン・ゴッホ〉」

丸川哲史

(本稿は上岡誠二氏による6月12日の講演について、当日配られたレジュメを基本として、その後の上岡氏との遣り取りをも反映させ、丸川が整理したものである。)

 炎の画家ゴッホは弟のテオと共に画家組合を構想する。アルルの黄色い家で向日葵を描き、キリストの使徒と同じ十二脚の椅子を用意した。ただ周知の通り、その「共同体」の始まりとなるはずのゴーギャンとの共同生活は破綻し、ゴッホは娼家で客を待つ馴染みの娼婦を女神として、自らの耳を切り落とし、それを「ひとつの太陽」として供えるに至る。
 日本で積極的にゴッホを紹介した「白樺」の武者小路実篤は、共同体「新しき村」をひまわりと同じく太陽に向かう名前をもった宮崎県の「日向」に建設している。ゴッホの影響は、日本の思想シーンにおいてもはっきりしてる。その後、日向の新しき村は埼玉県に移転するのだが、百年後の今もその「共同体」は続いている。
 また、宮沢賢治は短歌や「春と修羅」でゴッホの糸杉を詠い上げている。そういう経緯を経て、「羅須地人協会」という「共同体」を設立したのであった。ゴッホは自らを「農民画家」と呼んだが、賢治は「われわれはみな農民である」と『農民芸術概論綱要』に書いて、資本主義への隷属から逃れよう、と呼びかけている。実際に、新聞が賢治の活動を紹介すると、協会を社会運動と捉えた警察に賢治は事情聴取を受け、「共同体」は崩壊してしまう。「まずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばろう」という言葉が遺されている。
 またゴッホの精神的系譜に属するのではないかと考えられるのが、バタイユである。バタイユはファシズムに対抗するために、まず社会の中で行動する芸術家(主にシュルレアリストたち)との共同体「コントル・アタック」を立ち上げた。ただ、シュルレアリスト達との共闘はまたたく間に失敗に終わる。すると次に、恋人の提案によって、神のいない宗教「アセファル(無頭人)」をつくり、神を殺す、あるいは神を投棄する供儀を試みる。しかしバタイユ自身が犠牲となるような、無頭人そのものにまでは至らなかった。最後に彼は、開かれた共同体「社会学研究会」を立ち上げ、社会学を生きたものにしようとしたが、戦争が始まりすべては無に帰した。
 貧困階級をも取り込んだファシズムは、日本にも影響を与え、陸軍の青年将校たちが政権の腐敗や貧困問題を訴え起こした、「二・二六事件」は神話的事件となったが、この事件が一つの契機となり、日本を「共同体」にする発想の下、軍国主義国家が成立した。さらに敗戦後には、民族主義者の高校生、山口二矢が社会党委員長を壇上で刺殺した後に鑑別所で自殺する、という事件が起きている。壁には「天皇陛下万歳」「七生報国」と歯磨きで落書きされていたそうである。大江健三郎は、多くの人が目の当たりにしたであろうこの事件を題材とした小説『セブンティーン』と『政治少年死す(セブンティーン第二部・完)』を矢継ぎ早に発表したが、事件の神話化を食い止めようとした試みであった、と言えるのではないか。
 その一方、ファシズムを「芸術の政治化を企てたもの」だとする三島由紀夫は、愛国の共同体「楯の会」を結成し、「七生報国」と書いた鉢巻をして、自衛隊市谷駐屯地に立てこもり、自衛隊に決起を呼びかけた後に自決する。続けて、介錯をした楯の会学生長森田必勝もその場で切腹し果てた。アセファルでバタイユが行おうとして挫折した儀式「供儀実行者自身が彼の打ちおろす刃にかかって崩れ落ち、生贄とともに身を滅ぼす」を実行したとも思える。実は、この事件のひと月前、最後のインタビューで三島はバタイユからの影響を語っていたのであった。
 バタイユはゴッホを「われわれ人間たちの血にまみれた神話」に属しているもの、と言う。「共同体」と神話が同時に立ち上がるのだとしたら、その失敗によってゴッホの耳の神話化が起こり、その瞬間に「共同体」が立ち上がったとも言えないだろうか。バタイユは(選択的)共同体を組織することを断念した後に、「とりわけ共同体の不在について見直し、否定的共同体という考えを強調すること。共同体をもたない人びとの共同体」と書いたメモを残している。
 バタイユと並んでよく議論されるJ=L・ナンシーは、著書『無為の共同体』で「バタイユにとって共同体とは何よりもまず、そして最終的に、恋人たちの共同体だった」とする。愛の情動によって作られる共同体は、社会を締め出すのであり、その共同体は恋人たち以外には意味を持たないのだが、「鍵のかけられた寝室」の小島の中の「愛」の濃密さは私たちの「生の表情に活気を取り戻させてくれる」。「恋人たちの共同体」を知り、社会の荒廃を感じ取ったうえで、「共同体の実践」を試み、失敗したとき、その時にしか「共同体を持たない人びとの共同体」は立ち上がってこない、とも言えるのではないか。たとえ失敗に終わるとしても、「共同体」への要請を断念してはならないのだ。
 「共同体」は人間の情動によって要請されるのだが、その情動には倫理も道徳もない。人は生きる理由を見つけその生を生き抜くために、他者を必要とし共同体を求めて彷徨う。同質的な社会の中で情動を無力化し、生産とその生産物の消費という閉じた円環の中で、意味のない「有用性」に隷属させられたり、指導者と結びついた情動によって、人間を敵とした戦争へと向かわさせられることもある――そのような情動の流れを、押さえつけるの方向ではなく、多くの人が体験するであろう愛の情動〈恋人たちの共同体〉の方から捉え直し、「一個の人間の総合性」と結びつこうとする共同体を、たとえ「魔法使いの弟子」としてであっても、体験し始めなければならない時が来ているのではないだろうか。わたしたちの情動が軍国の「共同体」へと向かう前に。

気分はもう戦争

宣戦布告よりもさきに聞いたのは
ハワイ辺で戦があつたといふことだ。
つひに太平洋で戦ふのだ。
詔勅をきいて身ぶるひした。
この容易ならぬ瞬間に
私の頭脳はランビキにかけられ、
昨日は遠い昔となり、
遠い昔が今となつた。
天皇あやふし。
ただこの一語が
私の一切を決定した。
子供の時のおぢいさんが、
父が母がそこに居た。
少年の日の家の雲霧が
部屋一ぱいに立ちこめた。
私の耳は祖先の声でみたされ、
陛下が、陛下がと
あへぐ意識に眩いた。
身をすてるほか今はない。
陛下をまもらう。
詩をすてて詩を書かう。
記録を書かう。
同胞の荒廃を出来れば防がう。
私はその夜木星の大きく光る駒込台で
ただしんけんにさう思ひつめた。

高村光太郎『真珠湾の日』

なぜ天皇の写真を燃やしてはならないのか

「表現の自由」は憲法とは全く関係がない。憲法や法律がどれだけそれを禁じようと、表現には自由がある。この牢獄のような社会において自由であることが表現なのだ。


憲法には仕組まれたものがある。条文の順番によってその価値が変わるのだ。第一章では「天皇」のことが述べられる。

第一章 天皇
〔天皇の地位と主権在民〕
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

表現の自由を担保している条文は第三章の「国民の権利及び義務」にあり、天皇のことより後の話だ。

第三章 国民の権利及び義務
〔集会、結社及び表現の自由と通信秘密の保護〕
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

 
憲法をその根拠にする限り、理由やいきさつがどうあれ、天皇の写真を燃やし踏みつける表現をすることは、日本国民の反感を買ってしまう。それは国民全体=ひとりひとりの象徴であるからだ。憲法によると天皇の地位は「国民の総意」に基づいているとされる。天皇は「表現の自由」よりも優先順位が高く、天皇の写真を燃やす表現をすることは、日本国民であるそれぞれの「私」を汚す行為なのだ。よって、この国で「表現の自由」を訴える時に憲法を根拠にするのは間違いということになる。

 

憲法や法律を根拠にしないで「表現の自由」を訴えるにはどのようにすればよいか。

それには、その表現を芸術作品とする以外ない。芸術作品は自己言及で成立している。芸術を支えるのは、その作品自体しか無いのだから。

映画『デトロイト』

『デトロイト』を観る。1967年、暴動のさなかに起こった、警官によるリンチをテーマにした映画だ。複雑な気持ちになる映画だった。デトロイトは暴動後の70年代に日本車がハンマーでたたき潰されていた場所だ。アメリカの排ガス規制にいち早く対応したトヨタのCVCCが出て、第4次中東戦争の影響による石油価格の高騰も相まって、燃費のいい低公害で安い日本車がシェアを奪って、デトロイトの黒人はもとより、白人の生活を脅かした。そして日本は豊かさを享受した。時間やエートス、立場や視点によって正しさは常に変化するのだ。

デトロイト市は2013年に財政破綻した。

デトロイト暴動
日本車によって破綻したデトロイト

自由と壁とヒップホップ

フォークソングの勃興はアメリカにおけるユダヤ解放運動だと考えている。ボブディランもサイモン&ガーファンクルもユダヤ人だ。皮肉にも思えるが、現代のイスラエルにおけるヒップホップはパレスチナ解放運動と言えるだろう。かつて日本ではベトナム戦争のさなか、新宿北口広場でフォークソングの頂点を迎えた。それは日本における日本人の解放運動だったのだろうか。

中東の多くの国々では三〇歳以下の若者が人口の過半数を占める。高等教育が普及する一方で若年層の失業率は高く、政情不安や古い価値観との軋轢など、さまざまな生きづらさを抱えた若者たちにとって、高価な機材や演奏技術を必要とせず、路上でもインターネット上でも発表の場が見つかるラップ音楽は、自分たちの声を社会に届ける格好のツールとみなされる。くわえて、中東には詩や語り物など、口頭の言語芸術の豊かな伝統があり、今でもそれらが生活の中に息づいていることが、ラップを受け入れ、育む土壌になっている。
「ラップと中東の社会・政治変動」 山本薫
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ics/journals/2017ics21/16.yamamoto.pdf

山本薫さんといえば、 2011年5月28日に平井玄さんの「地下大学」で『タハリール広場からアズハル大学まで───エジプトの人びと』というトークイベントを素人の乱12号店で行った。東日本大震災と原発メルトダウンの影響で参加者は少なかったが、香港のプロテストが盛り上がっている今考えると、重要なトークだったのだ。
http://www.chikadaigaku.net/events/%e5%9c%b0%e4%b8%8b%e3%81%ae%e4%b8%ad%e6%9d%b1/

シオニストはユダヤ人に限らない
ユダヤ人がシオニストとは限らない
パレスチナ、ラーマッラー、西岸、ガザのために
そろそろインティファーダをグローバル化する時だ
(Lowkey『Long Live Palestine 2』より一部抜粋)

『自由と壁とヒップホップ』はどこだったか、小さな映画祭で観た。不動産屋の二階だったと思うが、どんどん記憶が失われていく。もう一度観たいと思う。

映画[在日]

映画[在日]の後編「人物編」を観る。監督、呉徳洙の息子と知りあったからだ。呉徳洙監督は大島渚の助監督を長くつとめた生え抜きだ。独立後は、テレビ業界でも活躍していた。制作は1997年、三世のインタビューまである。日本の敗戦によって在日朝鮮人は解放されたのだ。半島に帰ることも出来ただろう、しかし在日の人たちは日本に留まった。「罪を憎んで人を憎まず」日本で暮らすことの根源にあるのはそのような感情ではないだろうか。日本にいながらにして、国際人として生きているのだ。今後も自主上映会を続けていくとのこと、次回は9月6日(金)に北沢タウンホールで上映する。全編で258分にもなるこの壮大な物語、近いうちに前編「歴史編」を観たいと思う。チラシにはチェーホフの小説の一節が引用されていた。

やがて時がくれば
どうしてこんな事があるのか
何のために
こんな苦しみがあるのか
みんな分かるような気がするわ
―チェーホフ「三人姉妹」よりー

社会生活を拒否する者

高円寺中通り商店街にあるフィルムカメラ屋の新店舗のドアの取り付け作業を手伝う。以前、建築労働の仕事をしていた時期があった。親方もやったので、建築に関わる大体のことは作業しないまでも分かっているつもりだ。今回は彼が手に入れた既製品のサッシ引き戸を使ったので簡単だった。ドアまで手作りすると結局高くついたりするものだ。

宮大工ぐらいになると違ってくるとは思うが、町場、野丁場では、多くの場合、効率の良い簡単な仕事が儲かる。高い技術が必要な複雑な仕事はあまり儲からない。体力勝負ではあるが、技術の低い連中の方が儲けることの方が多かった。辞めてから20年も経つし、IT化も進んでいる今現在の状況は分からないが、現場作業はそれほど変わっていないだろうと推測する。一つのグループとして儲けた金を分配するのだが、技術の低い職人の方が儲けている。技術の高い職人に簡単な仕事を振れば、もちろんより作業が進むのだから、技術の高い職人に多く払うのが当然だと思うが、職人は作業の大体の単価を知っているので、人工(賃金)の差がコンフリクトを起こす。職人は具体的な仕事とその量を、自分の体を使って儲けている(自立している)という誇りがあるからだ。…というようなことを考えながら作業をしていた。人工を払うと言われたが仕事ではないので、無料奉仕。いつか酒の一杯でもおごってもらおう。

懇切丁寧!良いフィルムカメラ屋さんです。
https://voidlens.thebase.in

釜ヶ崎の「栄光ある伝統」において、インフラとは資本による生産物としてのみあるのではない。それは同時に、日雇労働者の手によってこそ生み出される建築作品であり、労働者たちの誇りの拠り所でもあったのだ。
(中略)妻木(進吾)は、野宿生活者の生活史データを丹念に読み解きつつ、「社会生活を拒否する者」とラベリングされる者たちの内面の奥深くに、徹底した「労働による自立」の意識が根差していることを見出した。かれらは、その生活の前史において内面化された労働規範のゆえに、「誰の世話にもならず自前で生きていくこと」を強く希求する。だからこそ、自立支援施策等による市民社会からの保護や包摂をかたくなに拒み、過酷極まりない野宿を生きるのである。

『叫びの都市』 原口剛 2016年 洛北出版

或る少女

高校生の頃、新聞配達のアルバイトをしていた。地方にコンビニもない時代、1970年代末、当時の感覚として、高校生に許されているのは新聞配達か皿洗い程度だったと思う。レコードとタバコと原付のガソリン代、たまに観る映画で無くなる程度のかせぎだ。休み時間以外はほとんど寝ている学校を終えて、夕刊を配達している時、その少女を見た。子猫を制服の中に抱いて、ひとり道端に立つ少女を。住宅街の車も人通りも少ない道だったが、配達範囲は彼女の立つ側にはなく、気になりながらも、ポストに夕刊を投げ入れ、自転車を走らせ次の配達先に向かう。次の日も猫を抱いた少女が同じ場所に立っていた。一月の間ぐらいだっただろうか、ほぼ毎日、多分高校生の彼女はそこに立っていた。ある日を境に見かけなくなり、自分もしばらくして新聞配達もやめた。心には妙な温かさが残った。何年も後になってからのことだが、彼女の立っていた側の一軒家の並ぶ団地は、在日の人たちの暮らす町だったことを知る。いや、その時、無意識のうちに気づいていたのかもしれない。

Against All Odds

HIP HOPをグラフィティーの視点からほんの少し考えてみたことがあったが、その時はそれほどピンとこなかった。特に音楽、これまで何も知らなかったRAPを、最近聴いたり、調べたりしている。トゥパックの実話映画『オール・アイズ・オン・ミー』をネットテレビで見る。トゥパックは仲間に裏切られ、彼らがただの取り巻きに過ぎなかったと気付いたときに、より強い絆で繋がろうとする「ファミリー(デス・ロウ・レコード)」に移籍する。代表のシュグは言う「デス・ロウはレーベルではなく生き方なのだ」。ファミリーの強すぎる絆は対立を生み、1996年9月13日にトゥパックがラスヴェガスで走行中の車から撃たれて死亡し、翌年の1997年3月9日にはザ・ノトーリアス・B.I.G.がロサンゼルスで銃撃を受け殺害されている。「ヒップホップ東西抗争」が始まったのだ。RAPが命がけで表現しようとするリアルなストリートの声、それは人びとの感情を逆なでもする。ギャングスタ・ラップのCDには「ペアレンタル・アドバイザリー」の烙印が押されているという。