メドレー:町田

3月に「日本版画運動協会機関紙を読む会」の版画ツアーに同行させていただいた。栃木県小山市の「野に叫ぶ人々」の小口一郎の資料閲覧と群馬県前橋のアーツ前橋で開催されていた「闇に刻む光ーアジアの木版画運動1930s〜2010s」展を1日で回るというハードなツアーだ。「闇に刻む光」は1930年代から2014年の台湾向日葵革命までのアジアの木版画運動を網羅した結構な規模の運動版画展だった。貴重な展覧会とは思うが、一気に展示しようと欲張ったのか、焦点がボヤけていたかもしれない。なんといえばいいか、美術館は博物館では無いのだ。

一方、小口一郎の資料閲覧ではお宝を探す海賊たちのような熱気を持って「読む会」の人たちが資料をむさぼっていた。それもそのはず、日本版画運動の情報は図書館にもWEBにもほとんど無いのだ。その調査の途中報告として、町田市立国際版画美術館の常設ギャラリーで「彫刻刀で刻む社会と暮らしー戦後版画運動の広がり」(6月23日日曜日まで)が開かれている。

「彫刻刀で刻む社会と暮らしー戦後版画運動の広がり」

本展では戦後日本における社会問題や庶民の暮らしを描いた木版画を紹介します。時に鋭く世相を描き出し、また日々の営みを優しいまなざしで捉えた一連の作品は、「戦後版画運動」と呼ばれる美術運動を通して制作されたものです。
版画による社会運動と版画の普及を目指した戦後版画運動は、1930年代に中国で魯迅(ろじん)が提唱して始まった「木刻運動」に刺激されて始まりました。日本では1940年代末から1960年代の中ごろにかけて活発に行われ、労働や基地、原子力問題などの社会問題が主題となりました。さらに生活者目線を重視し、「身近な労働者としての農家の暮らし」も数多く描かれています。
中心的な役割を担った「日本版画運動協会」は、北関東を拠点とする美術家を核として、1949年12月に発足。運動を主導したプロの作家に加え、アマチュアの「版画サークル」が全国に結成され、相互ネットワークが築かれたことが特徴です。また中国、アメリカで展覧会を開催するなど国際的交流も盛んに行われました。
当館では日本版画運動協会の事務局を務めた三井寿(みついひさし)(1921〜1988)が町田市在住であったことを縁に、版画運動に関する作品・資料を多数所蔵しています。さらに活動の中心的な役割を担った上野誠(うえのまこと)(1909〜1980)、小野忠重(おのただしげ)(1909〜1990)、鈴木賢二(すずきけんじ)(1906〜1987)らの作品も収集してきました。
本展では、「社会を描く」、「暮らしを描く」、「それぞれの視点から」、「全国への広がり-地域のなかへ」、「時代を超えて-〈タンポポの種子〉のように」という5つのテーマから戦後版画運動を捉えることを試みます。特に以前から紹介されてきた社会や暮らしを描いた作品に加えて、今回新たに行った現地調査の内容を反映し、これまで紹介される機会が少なかった女性作家による作品を展示。さらに北関東に留まらない全国的な広がりを示す一つの事例として、長野県南佐久郡での版画サークルの活動も紹介します。
近年、木版画による社会運動はアジア全体における広がりが紹介され、ソーシャリー・エンゲージメント・アートの文脈や学際的な関心からも注目されるなど、新たな光があたりつつあります。30点余りの展示ではありますが、当館収蔵品を通して戦後版画運動の広がりについて一層多くの方に関心を持っていただく機会となれば幸いです。

http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2019-414

主に美術館に収蔵されている作品で構成されたこの低予算の展示は、版画運動の展覧会として「実」のある良いものだった。中でも「小林貴巳子」の版画には心打たれた。1954年に制作された「日本人の生命」と題された版画は第5福竜丸事件で被爆して半年後に亡くなった久保山愛吉さんへの追悼が、ケーテ・コルビッツの「カール・リーブクネヒト追悼」の構図で刻まれている。決して上手な絵ではない(描かれた人々の表情に藤子不二雄のブラックユーモア漫画を思い起こした)が民衆版画の名作として世に広めていいものだろう。この版画を選んで展示してくれた学芸員の町村さんに感謝したい。

ケーテ・コルビッツ「カール・リーブクネヒト追悼」

調査について

本展では「日本版画運動協会機関紙を読む会」(メンバー:池上善彦、鳥羽耕史、木下紗耶子、角尾 宣信、町村悠香)で2018年7月から行った機関紙購読、インタビュー調査の成果を反映しています。
版画運動に携わった作家や、1950年代〜1960年代に全国で盛んだったアマチュア版画サークル、サークル誌について、引き続き調査を行なってまいります。

「彫刻刀で刻む社会と暮らしー戦後版画運動の広がり」

帰り道に「町田市民文学館ことばらんど」の前を通った。「大日本タイポ組合展:もッじ」が開催されていた。普段なら通り過ぎるところだが、最近、いろんなフォントを使う作業をしていて、その面白さに気づき始めたところなので寄ってみる。タイポグラフィーとは、目で聴くRAPではないかと思う。そこには「ライム」も「フロウ」もあった。そのままディスクユニオン(レア高円寺店がなんと!閉店していたのだ)に寄って、MC SIMONの「03」とTodd Rundgren「A Wizard, A True Star」を手に入れる。「A Wizard, A True Star」は過去2~3度買っているはずだが、気づくと無くなっている。多分誰かにあげてしまっているのだろう。それぐらい気に入っているアルバムなのだ。「ロックン・ロール・プッシー」とか「たまねぎ頭の方がまし(ダ・ダ・ダリ)」とか、田舎の高校生にとっては刺激的過ぎた。

Todd Rundgren「A Wizard, A True Star」


「03」に入っている「Eyes」のメインサウンドはTodd Rundgren「Believe In Me」で、サウンドを作ったJJJは他の曲でもTodd Rundgrenを使っているので、よほど気に入っているのだろうと思う。ヒップホップには明るくないし、あまり聞かなかったが、いろいろあって最近聴くことが多い。DJ Danger Mouse「Grey Album」もそうだが、よく聞いたロックナンバーが使われていると入りやすい。帯に「ヒップホップここに在り!」と書かれた、二木信の「しくじるなよ、ルーディ」を再読したりしている。2013年の本だが、すでに懐かしい感じなのだ。「社会が」なのか、「自分が」なのかは分からないが、あの頃とは変わってしまったのだろう。ただ、出版当時に目を通したときよりもいい本だなと感じた。

町田には昔の苦い思い出がある。版画美術館もここ数年までずっと行ってなかったが、次の版画運動関連の展示を楽しみにしている。

SIMON「Eyes feat. IO & RYKEY」

街には徘徊した分だけの涙や
徘徊した分だけの罪と罰が

03「Eyes」〈RYKEY〉

El Dinya Bard

https://youtu.be/QsAhALDqzQI

10月のパレスチナ国際連帯フェスティバルに出演予定の
MC GAZAがMaysa Dawをfeat.した曲「El Dinya Bard」
アラビア語歌詞をWeb翻訳してみると、
その歌詞はまるで中原中也のようだ。

Mc Gaza Ft Maysa Daw「El Dinya Bard」:
The world is cold and we have low air
I threw the wind once and it came back
The world is cold and disintegrating
We have stopped some of the work of meaning for Bakra

中原中也「言葉なき歌」:
あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のように仄かに淡い

いい曲です。

イノカシラフラスコモ

愛媛県松山市の実家の近くに、かつて 「松田池」というため池があった。子どもたちの格好の遊び場だったのだが、松山大学が買い取って埋め立てグランドにしてしまった。今は「松田池跡」の石碑があるだけだ。東京に出てくるまでの間に二回ほどかいぼりをしていたと思う。「水のない池」というのは不思議なものだ。いつもはヘラブナ釣りの糸を垂らしているその底を恐る恐る友だちと歩いた。

武満 徹氏の美しいエッセイのひとつに、狭山湖について書かれているものがあります。ダムによる人工湖である狭山湖の近くに暮らす武満氏が、清掃のため水を抜いた湖底をながめているときに、かつて水に沈んだ村の面影のなかに一本の小川の流れを見つけます。湖水に埋もれていても川は川として流れている事に驚き、この世界の深淵さや永遠性をあらためて認識します。そして、満たされた湖面からは見る事さえできないその小川は、湖底で静かに流れているだけではなく、その流れこそが湖を作り出す源流なのです。

武蔵野市にある「井の頭池」が三回のかいぼりの後に、固有種「イノカシラフラスコモ」が復活したそうだ。60年ぶりとのこと、近いうちに寄ってみようと思う。「松田池」のかいぼりは自然保護運動でもなんでもない、ため池では当たり前の泥さらいだったが、空気が変わったような記憶がある。秋の夕日に光るススキが懐かしい。

Animals

アメリカのケーブルテレビ〈HBO〉で放送されていた「Animals」をネットテレビで見る。 〈HBO〉 は先進的なケーブルテレビ(だった?)らしい。ニューヨークのセントラルパークあたりに暮らす動物たちの、とてもファックなアニメだ。シーズン2ではマッドサイエンティストがニューヨークの人間たちを全滅させ、動物王国となって終わるのだが、ニック・ヘクサムというミュージシャンがその「人生はレースじゃない」という曲にある「エントロピーは止められない」という歌詞の意味をネズミのフィルに問う。「すべてのものは混沌や無秩序や腐敗に徐々に向かっていくんだ」ニック・ヘクサムは「311」というバンドのボーカルなのだ。もちろんアニメを製作した連中は「フクシマ」を意識しているわけではないだろう。昨年、福島県で捕獲されたイノシシは3万頭を超え過去最多となったという。

https://www.youtube.com/watch?v=1Uie-tzlymA

ユートピアとしての共同体組織論

1971年4月号の「美術手帖」がある。芸術を目指そうと考え始めた頃に古本屋で購入したものだ。特集は「フリーク・アウト・アメリカ」と「バウハウスのパウル・クレー」、表紙は学生運動真っ盛りのコロンビア大学で撮影された「HAVE A MARIJUANA!」と印字されたチラシを持つ若者だ。「今月の視点」には、ブラッド・スウェット&ティアーズの武道館公演の紹介記事なども掲載されている。

https://www.youtube.com/watch?v=VKuqaZ0DQtk

金坂健二や今野雄二がドラッグカルチャーを伝道し、久保田成子がヒッピーコミューンの紹介をする。やっと美術作家論が出てきたと思いきやアンリ・ミショーのメスカリン・スケッチが並ぶ。全く油断も隙もあったもんじゃない。今話題になっている「電気グルーブ」をドラッグカルチャーの視点から見てみるのも面白いと思うが、そんな勇気のある評論家など今やどこにもいないだろう。

なんで古い美術手帖を引っ張り出してきたかというと、この号の美術手帖には、シリーズの「足立正生インタビュー4」に「東京キッドブラザーズ」の東由多加へのインタビュー「ユートピアとしての共同体組織論」が載っているからだ。テント劇団である台湾海筆子のドキュメンタリー「大テントー想像力の避難所」を観て、この映画で語られている「集団=共同体論」との差異を確認したいと思った。ミュージカルと芝居という違いはもちろんあるが、どちらも集団としてとしか成立しないものだ。

「ユートピアとしての共同体組織論」の中で、東は山岸会へのあこがれと同時に沸き起こる嫌悪感を隠そうとしない。それはユートピアとしての共同体の矛盾なのだろう。ところが桜井大造が立ち上げた野戦の月や台湾海筆子という集団=共同体はユートピアを求めない。より強い現実を求めるのだ。それは「ひとつの牢獄」だと台湾の評論家、王墨林は表現するのだが、その牢獄のような場所からこそ、集団としての表現が生まれるのではないだろうか。

至上の愛

デッキが直ったので、新しくCDでも買おうと駅前のブックオフに行く。ジョン・コルトレーンの最高傑作と言われる「A Love Supreme」が目についたので購入する。ジョン・コルトレーンについて、ウイスキーのコマーシャルソングにも使われ、村上春樹の初期作品を読むと聞こえてきそうな「Say it」な感じがしていた。いわゆるフリージャズのラディカルさを感じなかったので、あまり聞いていなかった。

プレイボタンを押す。そうそう、この「ア・ラヴ・シュプリーム」とつぶやくリフレインがダサく感じて、その良さがさっぱりわからなかったのだ。

リフレインといえば『千のプラトー』「音楽は音の質量を分子化するが、そうすることによってこそ、〈持続〉や〈強度〉など、いずれも音をもたない力をとらえることができるようになるのだ。持続に音を与えること。ここでニーチェの考えを思い出そう。聞き慣れた歌、リトルネロとしての永劫回帰、しかし思考不可能にして沈黙している宇宙の諸力を捕獲する永劫回帰。こうして、人はアレンジメントの外側に出て〈機械〉の時代に足を踏みいれる。そこは巨大な機械圏であり、とらえるべき力が宇宙的なものに変化する平面である。(リトルネロについて p.394-395)」

ほとんどの人にとってどうでもいい貴重な情報

1995年頃に何種類ものミニコンポを聴き比べてサンスイのミニコンポα7を購入した。今でもミニコンポの中で一番音が良いと信じている。2000年代になってCDの読み込みが悪くなリ、最近では十数回トレイの出し入れを行って、やっと認識するところまで来ていた。杉並にあった山水電気はすでに倒産しているし、修理に出すのもヤフオクで中古を買うより高いだろうと出し入れを繰り返す日々だったが、何となくネットを見ていたら修理レポートがあった。「レーザー出力が規定値を外れ、再生できるギリギリの状態」これだなと思い、レーザー出力を少し上げてみると直った。SNS時代になって社会をタコツボ化していくようになったネットだが、ほとんどの人にとってどうでもいい貴重な情報を見つけることのできるホームページがあるのはすごいと思う。

ワルツとノイズ

現代音楽のレコードを数枚持っていたはずだが、古レコード屋に売ってしまっていて、今あるのは「THE WALTZ PROJECT」一枚だけだ。このロバート・モランが企画したアメリカの現代・前衛音楽家によるピアノ・ワルツ集は、銀座の山野楽器で買った覚えがあるので、デザイン事務所でバイトしていた20歳頃に買ったのだと思う。プレスが悪いのか、買ったときからパチパチノイズが出ていた。このレコードを時々無性に聴きたくなる。今日聴いていてふと思った。ほんとうは音楽より、このノイズを聴きたいのかもしれないと。

Robert Moran, etc. – THE WALTZ PROJECT : 17 CONTEMPORARY WALTZES FOR PIANO(下北沢ノアルイズ・レコードのホームページより)

世界堂々デングリ

ネグリイベントのプレとして、木幡さんと企んで行ったイベントがある。ハプニングと言っていいものだと思うが、その頃の仲間と借りていた新宿三丁目にある小さなビルの一室から新宿2丁目の交差点に向けて田中泯さんが《場踊り》を行うものだ。どのようなかたちで公開したかは忘れてしまったが、木幡さんが撮った写真で簡単なウェブアルバムを作っていた。某マスメディアが撮影した映像もあるはずだが、蔵入りしたのだと思う。ここで見られるようにしたので、何が起こったか、想像してください。

※タイトルの「世界堂々」は世界堂の隣のビルだったというだけのシャレ。連想でエルガーの「威風堂々」を流した。

グーグーとしての木幡和枝さん

日曜日にネットテレビで宮沢りえ主演の『グーグーだって猫である』を見た。普段であれば見ない番組だが、なぜだか見る気になったのだ。ホームレス役の田中泯さんが宮沢りえに猫(グーグー)を渡していた。漫画家大島弓子原作のドラマはグーグーが死んで終わる。

翌日の15日に木幡和枝さんが亡くなったことを今日知る。田中泯さんと知り合ったり、それまで敬遠していたいわゆる「運動」界隈に関わるようになったのも木幡さんがきっかけだった。ニューエイジのバイブル的なライアルワトソン『生命潮流』の翻訳者として名前だけは知っていた木幡さんが東京芸大でアントニオネグリの招聘イベントを開くそのボランティアを募集していたので参加したのだ。数カ月の関りだったし、結局その時ネグリは来られなかったのだが、いろいろ面白いことが起きた。モラルを超えて何かを呼び覚まそうとする木幡さんに「表現と運動」について教えてもらったのだと思う。

そして木幡和枝さんはグーグーになった。
衷心より哀悼の意を捧げます。