地域通貨のことを再考し始めたとたんに、なぜだかBitcoinを入手した。FAUに500円ほど。そしてBitcoinでは、ドルや円のことを「地域通貨」と呼んでいるのだ。
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加藤一夫の民衆芸術論
民衆芸術について再考するということで、勉強がてら資料を作っていこうと、ブログに書いている。まとまったら『A3BCブックレット』にしていく予定だ。
民衆芸術ついては大正時代に深く考察されている。それらはすでに著作権が切れていて、国会図書館のデジタルコレクションに入っているのだが、旧字の本をスキャンしたもので、とにかく読みにくい。この資料もタイプしながら分かりやすくしていっている。前回、加藤一夫の『クロポトキン芸術論』の第一章をタイプしたが、加藤一夫の『民衆芸術論』を読みたくなったので、今回はこちらの第一章をタイプした。これらも読みやすいブックレットにして安く手に入れられるようにしたい。そのうち勉強会でも開こうかと考え始めている。
2017年のキーワードは『民衆芸術』
沖縄とメディア
A3BCollectiveの木版画ワークショップを開くために、格安飛行機で沖縄へ飛んだ。前回、飛行機に乗った時に、ひどく調子が悪くなったので、心配していたが、大したことにはならず往復できた。
辺野古埋め立て承認の取り消しが行われたにも関わらず、本工事を始める政府・防衛局。本工事が始まった次の日、10月30日に辺野古キャンプシュワプゲート前の工事車両搬入阻止座り込みに参加した。後日、琉球新報の紙面写真に自分の姿を見つけた。毎日ゲート前の様子をツイキャスしてくれている、lovin_nanaさんのライブには写るかもしれないと考えていたが、琉球新報や沖縄タイムスのデジタル記事を気にして見ているにも関わらず、自分が新聞の写真に写り込むことは一切考えなかったので、ハッとした。
ワークショップ中にも沖縄タイムスの記者に取材を受け、こちらは公式ツイッターでワークショップの紹介をしていた。
ここでは住民とマスメディアの距離がとても近いのだと思う。沖縄県が反対しているのだから、当たり前といえばごく当たり前なのだが、反対運動を住民視点で好意的に取り上げるマスメディアをはじめて知った。政府広報という組織によって、政府の意見は新聞による広告や政府広報番組などで、十分伝えられているのだから、マスメディアには住民視点であることが優先されるべきだ。全国紙、通信社、テレビ/ラジオ局は彼らを見習わなくてはならないだろう。
SORA個展「つかまえちゃった」
入り口でポータブルカセットレコーダーを渡され、作家自身の声で録音された解説を聞きながら作品を観る。天才ハイスクール解散展でのパフォーマンス「ひのあたらない場所」の写真、男たちを震え上がらせた「カルテ」などの刺激的な作品の中に、プラスチックのコップに白い液体が入っている「ちょっとだけよ」という作品があった。その液体は「カルテ」的な精液ではなく牛乳だ。「SORA」が生まれ育った沖縄の牛乳パックは1リットルではなく946ml入りで、米国の占領が続いた影響で4分の1ガロンが一般的な飲料パックの容量となったらしい。コップに入っていたのは、本土と沖縄の差である54mlの牛乳だった。牛乳の入ったコップひとつで沖縄の現実をうつし出す「SORA」の力量の今後に期待。
会期は明日8月18日(火)21:00まで。会場は高円寺の素人の乱12号店「ナオナカムラ」。
詳細は http://naonakamura.blogspot.jp/2015/08/sora.html
国防芸術と政策芸術
戦前、昭和十六年一月号の美術雑誌「みずゑ」に『国防国家と美術(座談会)――画家はなにをすべきか』という座談会の記事が掲載され、その後、芸術家や芸術団体への弾圧が始まった。
昨日、2015年6月25日に自民党議員が開いた「文化芸術懇話会」で全くといっていいほど同じ思考回路で『政策芸術』というものの本質が語られた。これが現在の政権与党の自民党の開く勉強会だというのが空恐ろしい。これからのひとつの方針、方向性を示しているのだから。
今回はマスメディアに対しての規制進言であって、まだマスメディアには社会的な発言力が残されていて、政府・与党もしぶしぶ謝罪したようだが、矛先が芸術家や芸術団体、芸術学校に向いたとき、アートは再び死を迎えることになるかもしれない。
エートスと資本主義の精神
一時期大騒ぎとなったエートス・プロジェクト。最近はエートスという単語さえ目にしなくなってしまったが、すでに「社会的心理」となってしまっているのだろうか。
マックス・ヴェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、資本主義の精神として語ったエートス。訳者解説の中で大塚久雄氏は、このエートスについて以下のように述べている。
「エートス」は単なる規範としての倫理ではない。宗教的倫理であれ、あるいは単なる世俗的な伝統主義の倫理であれ、そうした倫理的綱領とか倫理的徳目とかいう倫理規定ではなくて、そういうものが歴史の流れのなかでいつしか人間の血となり肉となってしまった、いわば社会の倫理的雰囲気とでもいうべきものなのです。そうした場合、その担い手である個々人は、なにかのことがらに出会うと条件反射的にすぐにその命じる方向に向かって行動する。つまり、そのようになってしまったいわば社会的心理でもあるのです。主観的な倫理とはもちろん無関係ではないけれども、もう客観的な社会心理となってしまっている。そういうものが「エートス」だ、と考えて良いのではないかと思います。
「禁欲的信仰」と「資本的営利主義」これら相反するものを結びつけるのが「エートス=資本主義の精神=社会の倫理的雰囲気」ならば、フクシマに置き換えれば、「放射能汚染された土地」と「健康な生活」というものを結びつける「社会の倫理的雰囲気」を作り出すことを目的としたものが「エートス・プロジェクト」であって、それは「資本主義の精神」にも直結していることになる。また、安保法案は「平和」と「戦争」を結びつけるエートスだとも言えるだろう。政府は妄言を吐いてエートスを作り出そうとする。被曝し戦火にさらされる、健康で平和な「いつもの場所=エートス」を。
禁欲的に金儲けをする、健康的に被曝する、平和な戦争をするといった矛盾に対して無批判でいること。倫理ではなく倫理的雰囲気に従うこと。それがエートスがもたらすものなのかもしれない。わたしたちはこれら「社会の倫理的雰囲気」によって、条件反射的に動かされないように、十分に気をつけなければならないだろう。
『お金よ、お金を描くのよ』とマリエルは答えた
「アンディは『いくら』とたずねた。『五十ドル』がマリエルの答だった。アンディはまっすぐ机へ行って小切手を書いた。
『いいわ。じゃ、アンディ、あんたの一番好きなものは何なの、言ってよ』とマリエル。
『さあ、なんだい』とアンディ。
『お金よ、お金を描くのよ』とマリエルは答えた。素晴らしいアイディアだとアンディは思った。そしてその夜おそらくマリエルは、見なれているため誰も気にしないようなもの。『キャンベル・スープの缶なんか』を描いたら、とも(今度は無料で)おしえた。」 Tomkins: op. cit., P.46. f. 中村敬治 訳
「Genbutsu Over Dose」と『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』
天才ハイスクール!!!!展覧会「Genbutsu Over Dose」のうずらの卵が気になったこともあり、高円寺に三日間通った後に、同じく美学校関係者の木村奈緒さんが企画した『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』を駒込にある「KOMAGOME1-14cas」に観に行く。
「Genbutsu Over Dose」と『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』は鏡像関係にある展示だと思う。「Genbutsu Over Dose」は「死=生」を媒介としたアートであり、『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』はアートを媒介とした「生=死」である。美学校の同士である若者たちが、同時期に死を中心点として両極に広がる展示を行なっていることは、特筆に値するだろう。
「Genbutsu Over Dose」を観た人は『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』にもぜひ出向いて欲しい。
『わたしたちのJR福知山線脱線事故ーー事故から10年展』
会期:2015年4月22日(水)ー 26日(日)(5日間)
会場:KOMAGOME1-14cas
時間:11:00 − 20:00
会期中無休・入場無料
主催:JR福知山線脱線事故から10年展実行委員会
http://fukuchiyama10years.tumblr.com/
8月6日月曜日『トマトの日』
8月6日はトマトのことで頭がいっぱいになる。小学生の時、図書館で一度きり読んだ話を毎年思い出す。本の題名も思い出せないけれども、下に引用する中泉西国民学校の話を、原爆の物語にした本だったことは忘れていない。
この日、今の磐田西小学校、その当時は中泉西国民学校といいましたが、家に帰って家族といた子どもたちが5人亡くなっています。
5月19日は西小にとっても大切な日なのです。
いずれも死にたくなかった、生きたかったにもかかわらず、戦争で理不尽にも命を絶たれてしまったのです。爆撃で死んだ妹が「赤いトマト」を井戸水に冷やしてあったそうです。兄弟で一緒に食べようと思っていたのでしょう。お兄さんは「赤いトマト」を手にすると今も涙が止まらないと言います。
戦争の傷跡は私たちの身近なところにあるのです。68年前に何があったのか、もっと知ろうとし、調べていきましょう。広島の原爆のことを知るには『はだしのゲン』があります。身近なことは地域の方や祖父母に聞きましょう。今も世界には戦争や暴力があります。
私たちの身の回りでもケンカやいじめの芽が絶えず出てきます。その時、どうしたらいいか、命を守るために何ができるかを考え、自分の命、友だちの命、家族の命を守る力をつけていきたいと思います。