記憶にある限り、人物や人の顔を木版で作ったことは無かったのですが、先日スケッチした大杉栄の肖像を彫って見ました。
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Banksy stencil
grove
20年前位に作ったエッチングを見つけた。作った当時はあまり良くないと思っていたが、久しぶりに見てみると、(まだ中途半端な版の上に、ためし刷りで、刷りは良くないし、保存も良くないので染み付きですが)当時思っていたよりも悪くないと思った。直後は自分自身と作品の関係が密接すぎるのか、まだ商品としての作品ということを考えていたのか。版が残っていたら少し手を入れて刷りなおしてみよう。(持っていた小型のエッチングプレス機を人にあげてしまったので、さてどうやって刷ろう…)
クリエイティブ・コモンズ ライセンス 表示-非営利-継承 3.0の下に置かれた15枚の日本銀行券
現代美術家の彦坂尚嘉さんが主催する「フリーアート」第1回展に出品しました。
クリエイティブ・コモンズ ライセンス 表示-非営利-継承 3.0の下に置かれた15枚の日本銀行券
2010年 カンバス、日本銀行千円券、ゴム判、鉛筆、両面テープ
「社会体に組み込まれているとはいえ芸術は、自らを支えるものとしては自分しかもっていません。」─フェリックス・ガタリ
貨幣に価格というものはありません。貨幣は商品ではなく、そのデザインがパブリックドメインに置かれていることからも分かるように、本質はフリーなものなのです。特にニクソンショックによるドルの兌換停止以降、それは決定的なものになりました。芸術作品もまた商品ではありません。芸術作品は自己言及の循環によって成立するものだからです。そして商品ではない貨幣が為替/金融商品として売り買いされることの根拠を芸術作品、特に美術作品が与えている疑いがあります。芸術作品と同じように自己言及性を持つ貨幣ですが、そのままでは決して芸術作品になることはありません。この作品は貨幣に署名し、さらにクリエイティブ・コモンズ ライセンスを付加することで貨幣を芸術に変容させています。貨幣の本質である<フリー>を剥き出しにすることによって、芸術と貨幣の隠された共謀を暴いているのです。
他者のための表現
どんな人にも喜んでもらえる表現、どんな人にも理解される表現をしたいときは、料理をすると良い。VEGE食堂に教えてもらった究極の選択。
市民ファシズム
最近、自転車に乗っているとおまわりによく止められる。それも真っ昼間から。昔はずいぶんな夜中でないとそんなことは無かったのだが。人相が悪くなってきた事もあるのだろうが、それにしてもうざい。イヤホンを耳に付けて自転車に乗っているだけで注意される。そんな法令聞いた事無いよと聞き返すと「あなたの安全のためだから」とのたまわる。じゃあカーオーディオやカーナビはどうなんだ!?と聞こうと思ったがやめた。だって無理だもん。あきらめも肝心なのです。そんなお巡りが根拠も無いことについていろいろいうようになってしまったのは「市民ファシズム」のせいだとボクは思う今日この頃です。
シュンタロウのバカ
日本生命だったかのコマーシャルで、谷川俊太郎は「けれど目に見えぬこの商品には、人間の血が通っています。」と言っていた。見ていて背筋がぞっとした。生命保険会社に集まるお金がなにに使われているのか。老後の幸せを買うための年金がなにに使われてきたのか。もしシュンタロウに少しの良心が残されていたとしたら、「目に見えぬこの商品は人間の生き血を吸って膨れ上がってるんだぞ気をつけろ!」とでも言いたかったのかもしれないな。金より怖い金融商品、、、。
革命の不可能性
変革や革命を訴える人たちの中に、保身のために自分以外の世界を変えようとする人たちが少なからずいる。自分自身も変化しながら世界を変革しようとするのでなければ革命は不可能だし、万が一革命が成功したとしても、そこは今よりつまらない世界に決まっている。この世界に守るべきものもなく、われらに守るちからもない。戦争を見よ。守るという大義名分のもとでの破壊行為。守るということは破壊することだ。そこまでして、何を破壊したいというのだ。生きるということは変わり続けることだろう。新しいものを創造し続けるしか他に道はないのだ。