二眼レフを分解する

フィルムカメラを再開しようと思ったのは、知り合いがフィルムカメラ屋さんを始めたこと、引き伸ばし機をもらったこと、実家で父親のKonica C35 AF2を見つけて形見代わりにもらってきたことなど、それなりの理由があったりする。暗室が出来たので、いろいろ撮り始めた。C35 AF2は世界初のオートフォーカスということで、被写体や明るさによって、ピントがずれることが多い。スナップ写真には適しているかもしれないが、ちゃんと撮りたい場合不満が残る。一眼レフはシャッター音が大きいなとレンジファインダーを探してみるも、レンズ交換ができるものは、中古でもえらく高い。二眼レフに目が留まる。そうえいば、子どもの頃、父親がコンパクトカメラを使い始めて、使わなくなった二眼レフをもらったのだけど、分解したくなって、再度組み立てられず、レンズを虫眼鏡として遊んでいた。父親にとっては薄給の中で手に入れた、思い入れのある二眼レフだろうし、悪いことをしてしまったという覚えがある。数千円の中古二眼レフ、ヤシカフレックス AII型で良さそうなのがあったので購入した。覚悟していた程度に、レンズやミラーにくもりやカビがある。絞り、シャッターは問題ないようだ。100円ショップでアクリルミラーを買って、交換したり、ファインダーの掃除をした。セルフタイマーの動きが悪いので、隙間からベンジンを1滴垂らそうとしたら、けっこう入ってしまった。シャッターも濡れている。すぐに蒸発するからいいかと思っていたら、シャッターが閉じたままになってしまった。ボタンを押しても動かない。これはかつての試練だと思い分解することにした。元に戻せるように慎重に分解していく。なんとかシャッターまでたどり着いて、ぽんと触ると開いた。汚れか塗料がベンジンで溶けてくっついてしまっていたようだ。ついでに気になっていたレンズのカビもアルコールでふき取る。なんとか組み立てなおせた。レザーは固くなっていてボロボロになって戻せなかったので、新しく貼りなおさないとならないが、おかげで思い入れを持つカメラになった。

哲学と平和

今の社会には哲学が不足していると、自転車で探しに出かけた。それは中野にあるはずだ。哲学堂公園では哲学をするおばあさんが東屋で佇んでいた。経験坂は上ることも出来るが、転げ落ちることもあるだろう。豊多摩刑務所跡地にある平和の森公園にも寄ってみる。数年前に森の保護運動があった場所だ。すでに樹木は切られ、大きな体育館の工事が進行している。人々は何かをあきらめているようだ。わずかに残った公園にはシロツメクサが咲き乱れていた。

未練

中央線の線路沿いにある、中野のホームセンターに向かう途中に「Tokyo2020」のバナーが並んでいた。演歌で歌われる恋愛の未練はこころを打つが、国家やイデオロギーに未練がましい愛を向けるものではないなと思う。緊急事態宣言下の島忠は混んでいたし、必要なものを手に入れることができた。すべてはあるがままだった。

28mmの距離感

コロナ禍の中で、30年前の写真を紙焼きしながら、距離感というものを考える。あの頃はニコンF3の50mmで撮影していた。手放したのちに、デジタルカメラのD70sを手に入れてからは、18-70mmのズームを使っていた。現在のフィルムカメラはC35 AF2の38mm。使ってきたのはほぼ標準レンズだ。いわゆるソーシャルディスタンスは85mm〜135mmの「中望遠レンズ」程度だろうか。いま、28mmの距離感を試してみたいと思う。

タバコと平和

ある方から今年のお年賀にピース缶をいただいた。両切りタバコはワイルドだ。何を思って贈ってくれたのかわからないのだが、自分の関わっていることに繋がっていたりもするのが面白い。65年前にビキニ環礁での米軍による水爆実験で第5福竜丸など日本の漁船や現地の人々が被爆した。その事件を受けてここ杉並を発祥とする水爆禁止署名運動が興ったのだ。その署名運動のポスターは初めのデザインでは原子雲と原爆ドームが描かれていたらしい。水爆禁止署名運動杉並協議会議長の安井郁は「私たちは原水爆の脅威から来る暗い面よりも、その禁止から来る明るい面を強調することを心がけました。明るい未来を目指す運動においてこそが、民衆のエネルギーは大きく盛り上がるのです」と考え、ピースの箱の青を基調に文字だけのデザインに変更したそうだ。今回杉並で初展示する丸木位里・俊の描いた原爆の図第10部《署名》はその明るさやナショナリズムを感じさせるモチーフに対して当時、批判を受けていたのだが、水爆禁止署名運動の意思を受けてのものだとしたら、《署名》の絵は平和への意思がこもった希望を感じさせるものになるはずだ。

今年の三月に開かれる《署名》展示イベント「原爆の図第10部《署名》を見よう」の情報は https://peace-suginami.org/ をご覧ください。

公園の中のチャイルドシート

電動アシスト自転車に設置されたチャイルドシートはSFに出てくる乗り物のように思える。1960年代の幼稚園の頃、遊ぶときに親が見守っていた覚えはほとんど無い。チンチン電車の線路には自由に入れたし(実家の近くでは今でもそうだ)、空き地も多く、野良犬もイタチも出没していたので、当時の方が安全だった事にもならないだろう。安全安心が確保されたわけではなく、私たちの恐れが増大しただけなのだ。