子どもの頃、遠い親戚の山の旧家に何度か泊まった。夜明けにざわめきを感じて目が覚めた。杉板の雨戸の節穴から木の葉が揺らいでいるのが障子に映っていた。あの体験は霊験あらたかといっていいものだった。多分俺はそれをずっと追い求めているのだろう。
俺の目は節穴だ
投稿日: カテゴリー: Blog、KODAK ULTRAMAX 400、PETRI COLOR35
子どもの頃、遠い親戚の山の旧家に何度か泊まった。夜明けにざわめきを感じて目が覚めた。杉板の雨戸の節穴から木の葉が揺らいでいるのが障子に映っていた。あの体験は霊験あらたかといっていいものだった。多分俺はそれをずっと追い求めているのだろう。
散歩写真を撮りながら、扱いに困ってエアコンの室外機の奥に立てかけるしかなかった町内地図看板が目につきました。普段なら気にも留めない、よくある看板です。手書きで作られた、家の境界線もほどんど消えている古い看板。郷愁を覚える色に惹かれたのだと思います。いわゆるパステルカラーで「ミントグリーン」だと思いましたが、気になってネットで色見本を探して比較してみると、ミントグリーンよりも青みがあって、英語(カタカナ)名の色見本に近い色はありません。日本の色として紹介されている「青竹色」「浅葱色」が近いようです。リトグラフを制作していた頃、使っていたオフセット用のインクの中に「浅葱」というのがあったのを思い出しました。日本のペンキ/インク関係では定番色なのでしょう。中原中也の「言葉なき歌」を思い出す。
あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない
此処は空気もかすかで蒼く
葱の根のやうに仄かに淡い
2009年に新しくWordpressで始めたこのBlogは、(アーカイブを追ってみると、2010年~2013年の間は更新していませんでした。)スラヴォイ・ジジェクが書いた、9月11日の米同時多発テロにまつわるエッセイ「現実界の砂漠へようこそ | Welcome to the desert of the real」をタイトルとして続けてきました。9.11も3.11もアラブの春から続く民主化運動の状況も、現実の「砂漠」を垣間見せるものだと思ってきましたが、新型コロナのパンデミックを経験して、現実は決して砂漠ではなく、もっと湿度の高い息苦しいものだと知りました。表現における匿名性といったものが、数年は続き再び起こるであろうパンデミックの下ではマイナスに働くだろうと考え、Blogのタイトルを「Seiji Ueoka」として、最近、取り組んでいる写真などの視覚表現をメインにリニューアルします。
instagramもあわせてご覧ください。
私用があって、7月末に広島へ行きました。広島駅から直接、原爆資料館に向かい、前回は工事中で見ることのできなかった本館を巡りました。ここでも〈記憶〉が〈記録〉に変容しようとしているようです。コロナ禍で人出や都市のゴミが少なかったりするせいでしょうか、前回は気にならなかったカラスが小雨の降る原爆ドームの、剥き出しのままの鉄骨に群がっていました。雨のせいか「原爆の子」も悲しい表情で、涙を流しているようです。
YASHICA ELECTRO 35 MC × KODAK ULTRAMAX 400
ASA400のKODAK ULTRAMAX 400を、目測カメラ、ヤシカエレクトロ35MCに入れて、スナップ写真を撮りました。ピンぼけの写真は曇り空からパーッと日が差して来た時に、ふと目に付いた自動販売機。ピントを合わせ忘れたことに気づいたのですが、撮りなおすことはあえてしませんでした。驚きの技術で、失敗の無いように機械が気を使ってくれる今日において、ピンぼけは、一つの手わざなのかもしれません。