毎年鑑賞者として参加していたら、なぜだか実行委員になっていた前橋映像祭。ダダイストの白川昌生さんが実行委員長ならではのダダっぷりだ。今年で、もう8回目になりますが、年々充実した映像祭になっています。一度映像作品も作ってみたいと思う今日この頃、今年は11月25日(土曜)26日(日曜)に開催しますのでぜひご参加ください!
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原水爆署名運動と公民館
図書館で予約していた『原水爆署名運動と公民館』が準備出来たというので借りに行く。「公民館を存続させる会」が作成した、水爆禁止署名運動杉並協議会の議事録や機関紙などのコピーを一冊の本にまとめたものだ。切れていたり、読み取れない文字もあるが、タイプしてデータ化できればいいと思う。計画中の事業の中で出来ないだろうか?今は体育館に変わってしまった中央図書館の隣の公民館、公民館の館長だった国際法学者、安井郁(やすい かおる)は水爆禁止署名運動杉並協議会の議長となり、初代理事長となった原水協が分裂するまで、原水爆禁止運動の第一線で活躍する。原爆の図の丸木夫妻とも親しくしていた。安井郁の追悼文集に丸木俊の寄稿があった。
あれは、一九七〇年だったと思います。『原爆の図』を持って、アメリカに行かなければならない、それにしては少しお金が足りないので、「先生どうしたらいいでしょうか」と相談に行きました。そうしましたら安井先生は「よし、わかりました」とおっしゃって、ちゃんと背広をお召になって、ネクタイをきちんとお結びになりまして、有楽町の街頭に立ってくださったんです。奥様もご一緒に立ってくださいました。そして、大きな大きな声で、ほんとに大きな声で「『原爆の図』を、原爆を落とした国のアメリカの人たちに見てもらうために、アメリカの人々と一緒に考えるために、みなさまのお力で送り出してやってください」とおっしゃってくださいました。私の方は、何だかはずかしいような気がして、小さくなっていますのに、先生のお姿と奥様の様子を見ていましたら、はずかしがったりなんかしている私の方が、やっぱりおかしいんだと思いました。あの時の先生の真面目な態度には、ほんとにびっくりしました。そのお陰でわたしたちは、『原爆の図』をかついでアメリカに渡ることができたのです。
『道-安井郁・生の軌跡』法政大学出版局、1983年 「街頭に立たれてー丸木俊」より抜粋
わたしの被爆体験と原爆の図展
原水爆のことを考える機会が多くなった。土曜日には井伏鱒二の「黒い雨」を読みつつ原爆の図丸木美術館に「西岡洋さん公開トーク 「わたしの被爆体験と原爆の図展」について」を聞きに行く。簡単な報告を書いたので転載します。
西岡さんは長崎での被爆者で、占領が解かれ原爆に関する情報が解禁された1952年に在学していた都立大学の学園祭で「原爆展」が開かれ、各学部による専門的な研究発表が展示される中、長崎のパノラマ写真の前で被爆体験を語ることになったそうです。その後、都立大学で作成したパネルは「東京都平和委員会」に請われて、原爆の図の巡回展で原爆の図とともに展示され、西岡さんも被爆体験を様々な場所で話したとのこと。山口など都内以外の巡回展に参加していたそうです。その際に、原爆の図の初期三部作が二部あることに気づき、その良否について議論した話なども。井の頭にあった昆虫学者の平山修次郎の私設の昆虫博物館で開いたときの写真もあり、人が並んだという話。印象的だったのは、当時13歳だった西岡さんは、悲惨な状況下で無感情になってしまい、外を歩いている時に焼けただれた人たちに水を乞われた際、振り払って逃げてしまったことを一生の後悔として背負っていることでした。
大阪にあるシアターセブンで公開中のドキュメンタリー「いのちの岐路に立つ ~核を抱きしめたニッポン国~」の中でも証言されているとのこと。
次の日、日曜の朝に電気ケトルの湯気で腕をやけどしてしまった。無意識のうちに被爆の追体験をしたかったのかもしれない。直径3センチ程度の水ぶくれになり皮膚が変色したのでハサミで破って皮膚を剥がしキズパワーパッドを貼った。体液が浸出して膨れ上がっている。
自由版画教室
かつての美術としての創作版画と社会運動としての版画運動に作家が行き来していたことからもわかるように、版画の世界はある意味狭い。版画を習っていたアートスクールの助手だった年上の女性との恋愛と結婚が終わって、版画の世界からは身を引いたつもりだった。(彼女は現役の版画作家として作品を作り続けている)しかし原発が爆発して、いろいろな出会いがあって、2014年から、もう一度版画に取り組むことになった。
A3BC:反戦・版画・反核コレクティブをみんなで立ち上げる前に確か3回ほどイレギュラーリズムアサイラムで木版画のワークショップを行った。その後は毎週木曜のA3BCで作品制作とともに、また、反核、反戦の抵抗の現場でのワークショップを行ってきた。今回、春に始めた自由芸術大学で版画教室を始める。父親に教師となることを要求され、拒否してきた自分としては居心地の悪い気もするが、絵を趣味とする母親を早くに亡くした人にあじさいの版画を作る方法を教えたいと思ったのがきっかけだ。
A3BCは反戦と反核をテーマとした抵抗の版画を作るコレクティブだが、自由版画教室は自由をテーマとした個人的で情緒的なワークショップになるだろう。作品が揃ったらそれぞれの参加者が作った版画で展覧会を開いてみたいと考えている。そこにあじさいの版画はあるだろうか。
黒い雨
いきさつはよく分からないが、岡山にいる9歳離れた姉がキャンディーズの解散ツアーだったのか、コンサートのチケットを買ってくれたので見に行った。多分高校一年生の時だ。その頃、キャンディーズは常にテレビに出ていたし、街でもよく曲が流れていたけれど、特にファンというわけでもなかったので、コンサートの記憶はほとんど無い。衣装が妙にキラキラしてた感想程度か。彼女たちは「普通の女の子に戻りたい」と解散したわけだが、そうは問屋が降ろさない。キャンディーズ時代とのギャップが印象的ということもあるだろうが、夢の遊眠社の「怪盗乱魔」で沖田総司役だった伊藤蘭に涙がとまらなかったし、なにより「黒い雨」の田中好子にはまいった。何の因果か、田中好子は福島第一原発事故からまもない4月にガンで亡くなった。荻窪に住むようになって、やはり井伏鱒二は気になっている。「山椒魚」を教科書か類するもので読んだ記憶はあるが、他は読んでない。若い頃に荻窪に立ち寄って井伏鱒二の家を探した記憶があるので、荻窪風土記ぐらいはめくったのかもしれない。荻窪の古本屋で「黒い雨」の文庫本を買う。盗作騒動もあったいわくつきの小説だし、その評価や、原爆文学として認められているかどうかはわからない。「広島の第二中学校奉仕隊は、あの八月六日の朝、新大橋西詰めかどこか広島市中心部の或る橋の上で訓示を受けているとき被爆した。その瞬間、生徒たちは全身に火傷をしたが、引率教員は生徒一同に「海ゆかば……」の歌をピアニシモで合唱させ、歌い終わったところで「解散」を命じ、教官は率先して折から満潮の川に身を投げた。生徒一同もそれを見習った。」と[日本人]が二度と戦争をしてはならない理由が1ページ目に記してあった。
今日は署名運動のリサーチ
杉並中央図書館で少ない資料を見たあと、郷土博物館へ。杉並の先史から現代までのコンパクトな常設展示と準常設展『杉並文学館』。署名運動の資料はわずか4点。どこかに眠っているのだろう。探せばどこかにあるはずだ。
共産主義党派文芸を評す
今日は12号店が雨漏りして大変でした。ところで、新居格は四国(徳島)出身だったのか。モガ、モボという流行り言葉を造語したのも新居だったとは!
まだちゃんと読めていないけれど、『アナキズム芸術論』は要は(共産)党派芸術批判に尽きるようだ。
まず人間であること、みんなが芸術家であること。
それから私はわれわれの文芸を打ち出すべき余地を殆ど失った。だがわれわれの立場からするプロレタリア文芸観は文芸はアナキスチックな本質を有すること、プロレタリアの自由文芸であること、すなわち命令や強制によって歪曲されないこと、同士意識に根底を置くべきこと社会性階級性をもつこと、従って階級闘争的であること、何よりも強権の否定と自由の強調に意義を置くこと、英雄主義の否定、偶像崇拝の厭悪、無政府主義の社会思想とその社会に於ける人類の生活を暗示するもの、資本主義社会の不合理な機構の摘発と否定。
ヴンドによれば、英雄及び神の時代は神や英雄の像が類型的でその個性が現れなかったとしている。共産主義はその個性を類型若しくは階級性に復戻させた。無政府主義は階級性に根ざした個性の自由によりて成り立つ階調性への示唆である。超個人的個人主義である。私は数次無名礼賛の説をなした。私の無政府主義的文芸観は大体以上のものの結合観念から成り立つ。
「共産主義党派文芸を評す」 新居格
菊とギロチン -女相撲とアナキスト-
以前「女相撲」の映画を自主制作する監督がいるとのことで、知り合いの元高校女子相撲全国2位の女性が相談を受けていると聞いていた。実は映画のことなどよく知らないので、監督の名前も聞いたことがなかったのだが、昨日行った足立正生監督のイベントの続きがどうやらその映画監督の特集だったようだ。今日は行けなかったが、昨日そのメイキングビデオの上映もあった。
瀬々敬久監督の『菊とギロチン』。主演男優は東出昌大で他にも名前を聞いたことのある俳優が出演している。自主制作とはいえ、商業映画並みのキャスティングだ。「ギロチン」とは「ギロチン社」のことで、大企業への恐喝(リャク)を行いながら、コミューン建設を夢見た若者のグループだ。憲兵による大杉栄の惨殺をきっかけにテロ集団と化してしまうのだが、軍国主義に雪崩落ちる時代、不安、不満が蔓延する社会をよくわからないままに背負ってしまった若者たちへのシンパシーを持つ監督が、実際には彼らと接点のなかった「女相撲」の女性たちとの交流の物語を通して、「ギロチン社」の真実の姿を浮かびあがらせようとする作品のようだ。
撮り終えた段階で資金が尽きて、いまだ編集ができていないとのこと。さっさと上映しないと手遅れになる。余裕のある方はぜひ出資か協賛を。
町田市立国際版画美術館
先週、Café★Lavanderíaにコーヒーを飲みに行った。イベントや打ち合わせ無しで行くのは初めてかもしれない。本棚をゆっくり眺める。ポリティカルな画集が目につく。魯迅の木刻運動あたりの版画の本があった。町田市立国際版画美術館と静岡?県立美術館との合同出版。展示に合わせて作成したのだろう199何年だったか。とても良い本。 A3BCを始めるまで、長い間版画から遠ざかっていたが、町田にも通おうかと思う。
今日は町田市立国際版画美術館に行く。「インプリントまちだ展 2017 絵描き・ながさわたかひろ、サッカー・FC町田ゼルビアでブレイク刷ルー!」FAUのレクチャーで知り合った学芸員の方のギャラリートークを聞きに行きます。時間のある方はぜひ!午後3時からです。
戦後初の杉並区長、アナキスト新居格
最近知ったのだが、戦後初の杉並区長の新居格はアナキストの文筆家だった。
今年の秋に新居の書いた「区長日記」の復刻版が刊行されるとのこと。その出版記念レクチャーを11月に自由芸術大学で行う企画を進めている。
新居の文章は『アナキズム芸術論』以外読んでないのだが、新居の文化政策をネットで調べてみると「杉並区を新しい文化地区にしたい、それがわたしの夢である。荻窪駅の北側にある大通り、あのあたりがわが杉並区のセンターともなろう。よき図書館、上品なダンスホール、高級な上演目録を持つ劇場、音楽堂、文化会館、画廊などがあってほしい」とのこと。現在、荻窪駅北口にある文化施設は、杉並公会堂、アニメーションミュージアムくらいか。
なかなか面白そうなレクチャーになりそうです。
詳細が決まリ次第、自由芸術大学のウェブサイトでお知らせいたします。