Blockchain Info

芸術作品について、無からそれを作り出すのだから素晴らしい。という誉め言葉をよく耳にする。果たして、芸術は錬金術なのだろうか。白いカンバスや絵の具は無なのだろうか。そのような芸術にまつわる議論をよそに、いま無から価値を生み出しているようにも思える仕組み、暗号(計算)主義とも云えるような社会形態が生まれつつある。ビットコイン/ブロックチェーンによる新しい経済システムだ。そして、そのシステムは芸術の根源と無関係ではないだろう。

以前より、一度ビットコインを試してみたかったのですが、それがどういうものかがよく分からないし、マウントゴックスは大量紛失するしで、後回しにしてきました。現在では、大手の銀行資本が参入して、簡単に地域通貨(円)との交換が出来たり、ビットコインで買い物が出来るようになってきているようです。ビットコイン取引所に登録してみようとしてみましたが、本人確認書類に写真入りの運転免許証やマイナンバーカードが必要で、そんなものは持ち合わせていないので、完了できませんでした。
しかしともかく、blockchain.infoでWalletを作ってみました。もちろん残高は 0 BTC です。僕がいろいろと頑張っている芸術活動や作品の創作活動を常日頃からサポートしたいと思っていた方は、この機会にビットコインで寄付してみてください!

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あらゆるHTTP通信をHTTPSに置き換える動きが活発になっている

自由芸術大学で小倉利丸さんと共に、プログラミングなどの専門的な知識がなくても出来る、ネット上のプライバシー保護のセミナー「プロプライエタリ社会をハックする」を行っている。次回は9月5日(火)19:30からの予定だ。自分も学びながらのセミナーで、自身の実践が重要だと、出来る限りセキュア―なソフトウェア―やアプリを使うようにしている。また、これまでこのサイトや自由芸術大学のサイトなどの CMSの管理画面のみHTTPS (Hypertext Transfer Protocol Secure) 接続にしていたが、サイト全体をHTTPS化することにした。自動的にHTTPSにリダイレクトされますが、これからは下記URLより、HTTPS接続をお願いします。

「現実界の砂漠へようこそ」 https://www.artnomad.net/

苺一会~真愛~ペルシャ

狐と狸の化かし合いが社会全体を覆っている。混沌は暴力を呼び覚ます。そこで善や愛を歌うことも出来るが、あっという間に資本に回収され、そこで作られたムダ金が格差を生み出し、化かし合いに使われる。非暴力であることは、言葉に頼ることになりがちだが、プレカリアートをマルチチュードと言い換えてみたところで、事態は何も変わらない。今、決定的に欠けているのは心のきれいさだ。
 
一人の少女に出会った。少女という言葉が何歳までを指し示すのか知らないし、ここでは関係がない。少女はこころのきれいさの象徴なのだ。少女はプロではないシンガーソングライターだ。ヒット曲を作るためには資本への忠誠が必要だが、作りたいときに曲を作り、歌いたいときに歌う。これがほんとうの音楽というものだ。そして彼女の流れるような曲や歌声や仕草、音程の揺らぎに心のきれいさがにじみ出してくる。彼女たちは「いちご牛乳」というバンドを組み、気が向いたときに「苺一会」というイベントを開いている。ダジャレにさえ心のきれいさ可愛さが込められるものなのだ。「真愛 – Zhen Ai」という二胡と箏の演奏で歌うオリジナル曲もある。アジアの感性のひとつの表現だ。いま、彼女はイランの音楽を日本で紹介したいと研究に励んでいる。

 

シュルレアリスムと原爆の図

1941(昭和16)年にシュルレアリスム事件と呼ばれる弾圧が起きる。評論家の瀧口修造と美術文化協会の福沢一郎が8か月もの拘留を受けた。1925年に治安維持法が出来ているのだから、もはや誰だって捕まえられる。その後は翼賛的な宣言文を書き、自粛しつつ会を存続することにしたようだ。その「美術文化協会」に作品を出品していたのが、丸木位里・俊である。丸木夫妻もまたシュルレアリストであったのだ。丸木位里は水墨画の技法「流し込み」にシュルレアリスムを見ていた。原爆の図でも、これでもかというほどに流し込みの技法が使われている。アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言にある「だれだれはなになににおいてシュルレアリストである」に倣って言えば、「丸木夫妻は反核・反戦においてシュルレアリストである」となるはずだ。

コラージュと集団制作

自由芸術大学でシュルレアリスムについてのレクチャー『足立正生は革命においてシュルレアリストである』を足立正生さんにお願いした。
絵や版画を始めた頃は、日本のシュルレアリスト瀧口修造が亡くなったのと同時期で、その影響は大きかったのだが、もともと難しいといわれていた美術におけるシュルレアリスムであったこともあり、理論的・精神的支柱が失われ、昭和初期から続いてきた大きな流れが、次第に失われていくように見えた。しかしそれは無意識の中で脈々と流れ続けていたのだろう。企画を進めるために再勉強を始めたのだが、昔は見えていなかったものが見え始め、寄り戻しによる体制の変化が起きている現在、緊急に取り戻さなければならないことに気づいた。そして、マックス・エルンストが生み出した技法である「コラージュ」というものを、数年前から行っている版画のコレクティブですでに実践していたことにも。集団で版画を作るということは「コラージュ」するということなのだ。


HDへの移行期に安く売っていたサンヨーのDMX-CA8というピストル型のビデオカメラを押し入れの奥から探し出した。思いついたときに短い風景のカットを撮影して「コラージュ」の素材にしてみようと思った。先日、神田の書泉グランデで足立正生監督の映画『断食芸人』DVDの発売記念イベントに行くときに録画ボタンを押してみたのだ。

主題性・精神性・物語性(1)

 

ニュートン
4953ニュートンの光学によると、色は反射である。
リンゴの赤は反射するスペクトルの赤の光であって、赤以外の色をリンゴが食べているのだから、リンゴの本当の色は赤以外の色ということになる。赤いリンゴは本当は緑で、リンゴの葉は赤い。光学的な色彩論は私たちの感覚の倒錯を明らかにしてくれる。その光学的な色彩論を応用して印象派は成立した。絵の具の色数も増え、気軽に持ち出せるチューブ入りの発売によって、油彩画を外で、そして太陽の光の中で描くことが出来るようになった。絵描きは光を得たが、その代わり多くのものを失った。主題性、精神性、物語性だ。

ゴッホ
Xre4KcXyVP2H5GFHqwYchBMLM1ok0GEHwGUTerCJYnELzedZ1VBz_8g8S6_e=s1200印象派に関わりながらそれらを失わなかった作家がいる。フィンセント・ヴァン・ゴッホだ。彼が絵を描く目的は慈愛であった。その意味で作品はすべて習作といっていい。ゴッホは日本の浮世絵の分業制やウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受け、慈愛の発露として、貧しい画家たちの協同組合を夢見る。しかし、それを成立させるためには、ゴッホはラディカルでエキセントリックすぎた。ゴッホの死後、さらに不幸が舞い降りる。ゴッホはみるみる有名になり、作品の値は上がり続けた。共同主義は個人主義にとってかわり、作家は個人的な欲望を刺激され続けることとなる。

ブリュッケ
1906フランスで印象派がもてはやされる中、ドイツで素人による芸術集団が立ち上がる。ブリュッケだ。彼らは共同生活をしながら制作を行う。綱領を持たないことを是として自発的で自由な表現を試みる。彼らがゴッホに影響を受け、その失敗から学んだことは確かだ。しかし、メンバーの一人フリッツ・ブライルはブリュッケについてこう語る。「われわれがなにから離れようとしているかについては、よく知っていた。しかし、どこへ行こうとしているかは、全く知らなかった」と。そのような制作を行う彼らの唯一ともいえる共同作業が木版画による冊子作りだった。

現実界の砂漠へようこそ

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辺野古の米兵相手に作られた街を歩く。どの店も長いあいだお客さんは来ていないのだろう。沖縄の強い太陽光線が虚しさを浮き彫りにする。その一角にあるバーだった建物だろうか?偉大なアメリカは消え去り、小さなアメリカが加筆されるが、もうその星は失われつつある。