沖縄とメディア

A3BCollectiveの木版画ワークショップを開くために、格安飛行機で沖縄へ飛んだ。前回、飛行機に乗った時に、ひどく調子が悪くなったので、心配していたが、大したことにはならず往復できた。

辺野古埋め立て承認の取り消しが行われたにも関わらず、本工事を始める政府・防衛局。本工事が始まった次の日、10月30日に辺野古キャンプシュワプゲート前の工事車両搬入阻止座り込みに参加した。後日、琉球新報の紙面写真に自分の姿を見つけた。毎日ゲート前の様子をツイキャスしてくれている、lovin_nanaさんのライブには写るかもしれないと考えていたが、琉球新報や沖縄タイムスのデジタル記事を気にして見ているにも関わらず、自分が新聞の写真に写り込むことは一切考えなかったので、ハッとした。

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ワークショップ中にも沖縄タイムスの記者に取材を受け、こちらは公式ツイッターでワークショップの紹介をしていた。

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ここでは住民とマスメディアの距離がとても近いのだと思う。沖縄県が反対しているのだから、当たり前といえばごく当たり前なのだが、反対運動を住民視点で好意的に取り上げるマスメディアをはじめて知った。政府広報という組織によって、政府の意見は新聞による広告や政府広報番組などで、十分伝えられているのだから、マスメディアには住民視点であることが優先されるべきだ。全国紙、通信社、テレビ/ラジオ局は彼らを見習わなくてはならないだろう。

海上の道 ― 沖縄版画ワークショップ

今月末に初めて沖縄に渡ることになった。

長い間、自分にとっての沖縄は、沖縄戦や米軍基地問題の苦悩の島々であるよりは、柳田国男の「海上の道」に描かれているような世界であり、「八重山」という信仰の場所であった。生まれ育った瀬戸内の島々の親しみやすさとは全く違った、根源的で立ち入り難い場所に思えて、これまで沖縄に行こうと思ったことはなかった。

1995年の米兵少女暴行事件の凶悪さと、その抗議活動の盛り上がりは覚えている。抗議活動により、普天間返還が合意されたはずなのに、いつの間にか辺野古にメガフロート基地を造って移転という話になったり、気がつくと埋め立てる計画に変わっていたのをやるせなく思っていた。その後、知り合いが関わっているゆんたく高江の活動によって、同じ沖縄東部の東村高江で、米軍ヘリパッド建設とその反対運動が行われていることを知る。

2013年には、前知事仲井真による辺野古埋め立て承認が行われた。この裏切りをきっかけとして、日本全体の平和や安全の状況が、階段を転げ落ちるように、悪化の一途をたどり始めたように思える。

政府と米軍は、この機を逃すわけには行かないと、強行的に工事を始めてしまった。辺野古・大浦湾の抗議活動に対して、海上保安庁が暴力的な弾圧を始めたことを知り、関わっているA3BCの活動の中で、辺野古と高江の基地建設反対の連帯バナーを木版画で共同制作し、沖縄に送った。高江も辺野古も座り込みの現場にそのバナーを張ってくれた。そして沖縄行きは決定的となった。

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ゆんたく高江Re:HENOKOの協力で、座り込みの現場で木版画ワークショップも開くことが出来そうだ。今日、事前に送るワークショップ用の道具をまとめた。苦手な飛行機の中で「海上の道」を再読してみよう。

ブランクラス「名絵画探偵 亜目村ケン episode1」公演と演劇のことなど

A3BC: 反戦・反核・版画コレクティブ同志の河口遥さんが演劇の初舞台に立つということで、演劇ユニット Whales「名絵画探偵 亜目村ケン episode1」をブランクラスに観にいった。知り合いが舞台に立つというのはこちらもなかなか緊張するものだ。

ブランクラスの前身、Bゼミについては彦坂尚嘉さんたちからなんとなく話しは聞いていた。若い頃、現代アートは教育から離れたところ、反教育としてあるものだろうと考えていた自分には、美学校やBゼミについて違和感があったので、気にとめず関わらなかったが、時代は変わり、今や現代アートの教育は当たり前のものとなったようだ。当時、先駆的だったであろうBゼミは、ブランクラスというアーティストサロンともいえる場所に生まれ変わっている。

「名絵画探偵 亜目村ケン episode1」は、かわいらしい小品という感じで好感を持てた。脚本、演出、役者、装置、会場、そして観客すべてがかわいらしかった。
https://www.facebook.com/events/816806568389194/


昔付き合っていた女性が小劇団に所属していたこともあって、80年代はじめの頃は足しげく紀伊国屋ホールや博品館劇場、花園神社に通っていた。アングラ演劇がメジャー化されたり、演劇ムーブメントとして社会的な現象にまでなった時代だ。「つかこうへい事務所」「夢の遊眠社」「状況劇場」は公演があるたびに、徹夜で新宿紀伊國屋書店前の路上に並びチケットをとっていたのだが、「つかこうへい事務所」解散の頃から演劇に通うのはやめ、その後ぱたりと行かなくなってしまった。

それでも、最近(震災後)はごくたまにだが演劇を観る機会がある。
・2012年 アンファンテリブルプロデュース「愛のゆくえ(仮)」
知人のN君に手伝いを頼まれ上野ストアハウスにビデオを撮影しに2日間通った。
主演の前川麻子は、日活ロマンポルノの中でいちばんのお気に入りの「母娘監禁・牝」の主役でもあったので、喜んで手伝いに行く。
「母娘監禁・牝」は主題歌の荒井由美「ひこうき雲」とテトラポット、冷蔵庫に逃げ込んで泣くシーンが印象的な映画だ。
前川麻子が主催していた「品行方正児童会」の演劇をテレビでやっているのを見たことがあるが、見ている私は時間と場所を共有する観客ではないし、演劇には一回性というものが欠かせないものだと思った。とはいえ、アーカイブはあったほうがいい。「愛のゆくえ(仮)」 全公演の映像をYouTubeでみる事が出来るようです。
https://www.youtube.com/channel/UC-owQqMItx-SEqtL6UJUFFg
たしか10月31日と11月4日を撮影したと思う。

・2013年 福島県立相馬高校「今、伝えたいこと(仮)」
残念ながら再演はもう無いとのこと。記録DVDの上映会は行っているそうなので、機会があればぜひ観て下さい。
https://www.facebook.com/events/416118131796896/

演劇を見るといつも、夢の遊眠社の「怪盗乱魔」で大泣きしてしまったことを思い出す。自分も若かった。決して伊藤蘭に泣かされてはならない。

贋金つくり

贋金つくり」に主人公は居ない。三つの家族の愛憎と波乱含みの交流が描かれる。それを描くのはジイドではなく「贋金つくり」の題名で小説を書こうとしている小説家だ。しかし小説の中で小説はほとんど書かれることはない。結びの言葉だけは分かっている《まだこれで終わったわけではない……》。
物語は制作日記の中で進行していく。そこでは「贋金」に関する事件も語られるが、決してメインの事件ではない。贋金もクリスタルガラスに金メッキを施したという奇妙なものだ。登場人物たちは、自然科学から宗教、政治、経済、芸術までありとあらゆることを語る。ある意見に対しては、その反対意見も語られる。
小説は祖父の拳銃でこめかみを打ち抜く少年の死によって結ばれる。そこに小説の中の小説の結びの言葉は無い。しかしジイドは小説の中の小説家と同じように「贋金つくりの日記」を記述し出版する。
『悪貨が良貨を駆逐する』というグレシャムの法則も記述されるが、すべてが贋金だとしたらどうだろう。贋金にも悪貨と良貨があるのだろうか?贋物と本物を区別するその根拠は何だろう。贋の親子、贋の夫婦、贋の恋人、贋の友人。贋の貨幣。物語は《まだこれで終わったわけではない……》。

風呂で本を読んではいけない

IMG_0072 貨幣についての作品制作・展示を行おうと考えている。「貨幣」について考え始めたきっかけは、言わずもがなマックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だった。本棚の奥の方から引っ張りだしてみると、水に濡れたまま乾かした感じで、全てのページがシワシワになっている。思い起こせば以前、風呂に入りながら読んでいて、ついうとうとした時に、お湯に落としてずぶ濡れになったのだった。風呂で本を読んではいけない。あらゆるひとにとって示唆に富む一冊と言えるだろう。

そして反対することこそが芸術の根源です

CBaGxcgUUAAGqDD-474x613粛々とろくでもないことが進む一年にしないためにも、
A3BC
では反物木版カレンダーを製作しました。
反戦・反核・反物・版画カレンダーです。
思いの外「反」が一つ増えました。

そして反対すること。
それこそが芸術の根源です。

折口信夫の「鬼の話」から、宮沢賢治の「春と修羅」まで、
とにかく芸術は「反」なのです。
そしてそれは「版そして版画」であるはずなのです。

国境線

borderline「国境線」という油彩絵を描いたことがある。
なぜ国境線をモチーフにしたか、はっきりとした記憶は無いが、ベルリンの壁は壊され、グローバリズムの波が押し寄せ、国境というものが消え去ろうとしているその追憶を描いたのかもしれない。
これまで少なくとも日本では実際に描かれた国境線は無かったはずだが、現在、沖縄ではあらゆる国道に黄色い国境線が引かれているという話を聞く。

遠藤麻衣 SOLO SHOW「アイ・アム・フェミニスト !」

feminist映像で流れているのは、役者でもある遠藤が演じるピカソの「泣く女」。セリフは女性雑誌に載っていそうな男社会に対する悩みである。その映像の前で演説のパフォーマンスをする遠藤は、ピカソの私生活を題材に男性社会の矛盾を語る。ドアの向こうでは、今回の作品を作った経緯が、本展覧会コーディネーター河口との「テラスハウス」風ガールズトークの映像で暴露される。しかしフェミニストをモチーフとしてピカソを方法とした全ては芝居である。フェミニストを揶揄する表現をする私を揶揄するアイ・アム・フェミニスト! その物語はメビウスの輪のように反転しながら、自己言及を行うことで作品となる。そのストーリーから逸脱し、いわゆる「シミュラークル」なフェミニスト劇場に「リアル」を持ち込んでいたのが、遠藤と演劇集団「二十二会」を主催する演出家の渡辺が紙粘土で作った、ギャラリーのドアガラスに貼られた展覧会のタイトルと、「テラスハウス」風に撮影された食事風景に出されていた、河口が炊飯器で作った生々しい「蒸し牛」だ。

日程:2015年3月22日(金)〜3月31日(土)12:00-20:00(水曜日定休)
オープニングレセプション:3月22日 (日) 18:00~
会場:ギャラリーバルコ
入場:無料
協力/作家コーディネート: 河口遥
詳細:http://g-barco.sblo.jp/article/114059032.html

池袋モンパルナス

宇佐美 承『池袋モンパルナス』を読む。靉光から丸木位里まで、戦前に池袋にたむろしていた絵描き/美学生の間抜けな日常が赤裸々に描かれていて面白い。

 しかし時代はすでに、自由とか前衛とかといったことばをゆるさなくなっており、最前衛のシュルレアリスム集団「美術文化協会」は弾圧をうける。軍は愛国心を鞭に、すでにとぼしくなっていたえのぐを飴に、協力をもとめた。絵かきは本来、理で考えることをしないから、あの戦争を侵略戦争だと理解していたものは当然例外で、描きたさ一心で応じたものは少なからずいたし、聖戦と信じて勇躍馳参じたものもいた。
 しかし、絵描きはいっぽうで、画一の世界をきらう人たちだから、大部分のものは、しぶしぶと、あるいはテレ臭げにしたがっていた。なかには厭戦の気持ちを内に秘めて、貝のようにおし黙っているものもいたし、二、三のものは、わずかに皮肉をこめた絵や、ひたすら自己を凝視する絵を描いていた。つまり、かれらの大部分は、軍事国家にとって役立たずであった。
『池袋モンパルナス』 宇佐美 承 集英社 1990

未来に影を落とす芸術運動

figaro現代アートに影を落とし続けている芸術運動がある。「未来派」だ。戦時中の翼賛芸術などは、いくらでも、権力に責任を押し付けられるのだが、「未来派」は、自ら望んで男根的な戦争をファシズムを創造の源とした。そして其処が現代アートの発火点なのだ。

……事実、僕達全部が、ウーウー唸ったり、パンパン射撃したり、パチパチやったりすることを望んでいるわけではないのだ、マリネッティ。……

未来派言語技術――F・T・マリネッティへの公開状―― アルフレート・デーブリーン