中原中也「骨」と「近代詩Tシャツ」

昔、多分1995年の夏に作っていた「近代詩Tシャツ」。最近、木版Tシャツとかやっているので、押入れの奥のTシャツダンボールをひっくり返すと出てきた。以前、サンタモニカで撮った、そのTシャツを着た写真をツイートしたのを、「アナログラジオ素人の乱」キャスターの松本るきつらが覚えていて、欲しいというので確認すると、着古しているしちょっとシミも付いていた。きっとメルロースのタコスのソースだ。とりあえず洗濯したけど、こんなのホントに要るのだろうか?

写真

 中原中也

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨の尖。

それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨――
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?

故郷の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立って、
見ているのは、――僕?
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。

似顔絵の腕が無い

 

photo1(1)地下大学で「米騒動から原発震災へ───2014年に大杉栄が降り立つ 栗原康『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(夜光社)をめぐって」というイベントをするし、「シュトルム・ウント・ドランクッ」のロードショーが8月にあるし、岡田裕子さんの息子がpythonで遺伝的アリゴリズムを使ってエスペラントを作る仕組みをパイソン・カンファレンスでプレゼンするし、久保貞次郎研究所は「戦争、差別、暴力の一切無い社会、全ての人が芸術家である社会にむけて」頑張っているし、ここはひとつ大杉栄の木版でもと、スケッチしてみるも全然似ません。ちょっとくずれた男前というのはかなり難しい。というより、若い頃に2,3度やったテレビ放送のための法廷絵かき。連合赤軍の永田洋子もロス疑惑の三浦和義も全然似てなかったので、似顔絵の腕がでんで無かったということを思い出したわけです。

戦争の絵を、空襲の絵を描こうと思う。

640px-Tokyo_kushu_1945-4バブルの終焉、湾岸戦争が勃発した時には愛媛の今治で暮らしていて、母方の祖母の出身地の(伊予)大島や能島を巡り、村上水軍について調べていたりもした。なぜそうしたかは忘れてしまったが、仕事以外は和服で過ごした。夏にはアパートのそばの蒼社川の河原で、手で捕まえられるほどのゲンジボタルが舞っていた。その年は豪雨で、川に架かる蒼社橋が流されてしまうほどだった。
湾岸戦争のニュースはテレビで見ていた。小学生時代に浅間山荘事件をテレビで見ていた時と同じ感覚だったのだと思う。浅間山荘の時は子どもだったので、その事件を実感として認識する事は出来なかっただろうし、子どもながらそれは自覚していた。湾岸戦争の映像を見ている自分はもう十分に大人だったのだが、しかしそこで戦争が行われ、街が破壊され、そして多くの人が死んでいることを実感として感じることが出来なかった。だから、戦争の絵を、空爆の絵を描いた。次の年には東京に戻ることになり、その油彩画は松山の実家に置いてきた。今はあるかどうかもわからない。
もうじき、集団的自衛権行使は容認されるだろう。だからこれからしばらくは、戦争の絵を、空襲の絵を描こうと思う。それは集団的自衛権の行使によって行われた攻撃/爆撃の結果、そしてこの国のいつか見た、未来の姿だと思うから。

生のエコロジー

セブンティーン」の猫がいて、15年ぶりに医者に連れて行った。
「エコロジーライフ」というコマーシャルなキャッチコピーがあったが、特に原発爆発以降、「人生のエコロジー」について考えなければならなくなったのだと思う。

産業としての農民美術の成立について 金井 正・著より

 「産業が成立する」と、云うことを、製作品が利益あるように売れるという意味に解すれば、私共はこの質問に対して何とも答えることが出来ない。「安全なる利益」を先に考えるならば、新しい仕事を創めるほど馬鹿らしいことはない。
 ロシア人形をみて「やってみたいな。やってみよう」と最後の決心をするまでに私共を動かしたものは「売れる、売れない」とか「確実な利益」とかいうよりは、もう一つ手前のものであったろうと思う。「人生の自然に根拠をおく仕事」ということの直覚が私共を最後の決心にまで動かしたのだということを今はっきり分かってきた。人生の自然に根拠をおかないような仕事は、それによってどんなに多くの利益が得られても結局それは廃滅するか、又は人生を救い難い堕落に引きいれるかに帰着する。

戦争の記憶と表現

WWW (World Wide War)
WWW (World Wide War)
油彩で三角をいくつも描きながら思ったのは、今のアートには戦争の記憶が無いのではないかということだ。ウォーホールのカラフルな作品にさえ戦争の記憶は深く刻印されている。自分自身はもちろん戦争に行ったわけではないが、学校や生活、本やマンガで、戦争について常に聞き、触れ、考えてきた。母親が学徒動員で、体育館と校庭であの「風船爆弾」を作っていた話などは、つねに頭の片隅に浮かんでくる。いまの若い人たちが、戦争の記憶を持つ作品を作ることなど二度とないほうがいいが、記憶を持つ表現者はその記憶が刻まれることを嫌がったり、ごまかしたり、消したりしないほうがいいのではないだろうか。

座れない椅子

「私がせめて彼らに願うことは、ともかく実用品たれ、ということである。腰かけることのできるイス、物をつつめる一枚のフロシキをつくる方が、諸君の絵や彫刻よりもムダではない。」と坂口安吾が書いていた。シュルレアリスム批判のエッセイだ。
岡本太郎が「座れない椅子」を作り続けた理由が今分かった。

radio sculpture

ラジオはテレビ的なものでは無いと言うのはマクルーハンの時代からの定説ではあるが、それは彫刻的なものではないか。まだ上手く説明できないが、セザンヌとヨーゼフ・ボイスは分かってくれると思う。

焦点をほんの少しずらしてみよう

批判も大切だし
情勢分析も重要だ

現代社会では情報
が光速で移動する
この状況のパターン
認識と解析が決定的
に欠けている

ほんの少し
手を
足を
とめて
目を
凝らさず
今を
眺めて
みよう

みんなが同じものを見て
みんなが同じ思いを持つ
それはまずしい社会だ

わたしたちの

を支配しようと
している政治から
焦点をほんの
少し
ずらしてみよう

そこには今
まで見えて
いなかった社会
の姿が写し
出されるだろう