SomaFM:Sonic Universe

Radio TrayというネットラジオアプリがLinuxにインストールされていて、登録されていたSomaFMというラジオ局のSonic Universeチャンネルが気に入って、Linuxを立ち上げたときは流している。ペンギンワールドには発見がある。


SomaFM
:Sonic Universe
Transcending the world of jazz with eclectic, avant-garde takes on tradition.

絶望のユートピア

20161013095250-0001-326x450小倉利丸さんがこれまでに書いてきた文章で、単行本で出版されてないものをまとめた新刊を、新宿のIRAで見つけた。1251ページ、広辞苑並みの厚さを持つ『絶望のユートピア』だ。定価五千円と高額ではあるが、IRAに千円払って、あとは分割ででも振り込めばいいとのことだったので、購入した。最近、視力の衰えが著しく、できれば本など読みたくないのだが、手軽さ、分かりやすさが優先される時代において、このひねくれた本は読んでみる気になったのだ。
まだ100ページも読んでいないので、内容に言及はしないが、(当然のことながら!)すべての文章がクリエイティブコモンズ「表示 – 非営利 – 改変禁止」ライセンスで提供されていることは特記しておく。

沖縄とメディア

A3BCollectiveの木版画ワークショップを開くために、格安飛行機で沖縄へ飛んだ。前回、飛行機に乗った時に、ひどく調子が悪くなったので、心配していたが、大したことにはならず往復できた。

辺野古埋め立て承認の取り消しが行われたにも関わらず、本工事を始める政府・防衛局。本工事が始まった次の日、10月30日に辺野古キャンプシュワプゲート前の工事車両搬入阻止座り込みに参加した。後日、琉球新報の紙面写真に自分の姿を見つけた。毎日ゲート前の様子をツイキャスしてくれている、lovin_nanaさんのライブには写るかもしれないと考えていたが、琉球新報や沖縄タイムスのデジタル記事を気にして見ているにも関わらず、自分が新聞の写真に写り込むことは一切考えなかったので、ハッとした。

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ワークショップ中にも沖縄タイムスの記者に取材を受け、こちらは公式ツイッターでワークショップの紹介をしていた。

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ここでは住民とマスメディアの距離がとても近いのだと思う。沖縄県が反対しているのだから、当たり前といえばごく当たり前なのだが、反対運動を住民視点で好意的に取り上げるマスメディアをはじめて知った。政府広報という組織によって、政府の意見は新聞による広告や政府広報番組などで、十分伝えられているのだから、マスメディアには住民視点であることが優先されるべきだ。全国紙、通信社、テレビ/ラジオ局は彼らを見習わなくてはならないだろう。

ART & WAR – 侵攻するコンテンポラリーアート

本棚にある1991年7月号のSTUDIO VOICE「ART & WAR ――侵攻するコンテンポラリーアート」が目についたので手にとってみた。
コラムを書いている学者や批評家、キューレーターが言及しているアーティストは、インゴ・ギュンター、クリス・バーデン、三上晴子、イアン・ハミルトン・フィンレイ、アンゼルム・キーファー、ゲハルト・リヒター、ハンス・ハーケ、シグマ―・ポルケなど。やはりドイツ生まれの作家が多い。

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湾岸戦争直後の特集であり、依頼内容でもあっただろうが、メディア化された戦争とアートの関係について多く語られている。戦争が始まってミサイルが飛び交い、多くの人が犠牲になり、難民を生み出し、社会が混乱していることよりも、戦争が電子化されたことに想いを馳せることの方が重要だとでも言わんばかりに語ったり、湾岸戦争を「人が死なない戦争」と位置づける寄稿者もいる。共通していえるのは、都市が爆撃されている映像を見ても、かつて日本‪に対して行われた空爆に思いが至らず、一切の言及がないことだ。終わってみれば湾岸戦争で使用された爆弾の97%は、本土空襲と同じ高高度からの無差別爆撃で使われていたことなどが分かる。なにも寄稿者の責任だけを問うているのではない。自分自身も(記憶に間違いがなければキャノン製のカメラを載せた)マーベリックミサイルや暗視カメラの映像、お茶の間に流される、映画の一場面のようなニュース映像を見ながら、そのリアリティのなさ加減に恐ろしさを感じていただけだった。湾岸戦争で繰り返し放送されたテレビ映像によって、戦争に対する想像力が失われてしまったのだ。

その後の情報開示やイラク戦争などによって、現代の戦争もまた、かつての戦争と何も変わらない、金と利権にまみれた、破壊と殺戮の修羅場であることが浮き彫りになっている。しかし、戦争に関する想像力は、いまだ失われたままなのではないだろうか?