山頭火を生きる:五月十日

雨、風、朝酒が残つてゐた、しめやかな一日だつた。
・いつまで生きることのホヤをみがくこと
・ひとりをれば蟻のみちつづいてくる
・草の青さできりぎりすもう生れてゐたか
・胡瓜植ゑるより胡瓜の虫が暑い太陽
風ふくゆふべのたどんで飯たく(追加)

山頭火を生きる:五月九日

曇、昨夜は眠れた、何よりも睡眠である。
初夏の朝、よいたより。
ちよつと街へ出て戻ると、誰やら来てゐる、思ひがけなく澄太君だ、酒と豆腐とを持つて。
ちび/\やつてゐるところへ、呂竹さんが見舞に来られた、これまた茶を持つて。
さらに樹明来、T子さん来庵。
風が吹いて落ちつけない、風には困る。
澄太来のよろこびを湯田まで延長する、よい湯、よい酒、よい飯、よい話、よい別れでもあつた、澄太君ほんたうありがたう、ありがたう。
夕暮、帰庵すると、飲みつゝある樹明を発見する、彼はまことに酒好きだ、少々酒に飲まれる方だが。
労れた、よい意味で、――今夜はよくねむれるだらうと喜んでゐると、T子再来、詰らない事を話して時間を空しくする、しめやかな雨となつたが寝苦しかつた、困つた。
・生きて戻つて五月の太陽
・けさは水音の(が)、よいことが(の)ありさうな
葱坊主、わたしにもうれしいことがある
湯あがりの、かきつばたまぶしいな(病後)
・竹の葉のうごく(そよぐ)ともなくしづかなり
・土は水はあかるく種をおろしたところ(苗代)

山頭火を生きる:五月八日

曇、風(風はさみしくてやりきれない)。
弱い身心となつたものかな、あゝ。
・山はひつそり暮れそめた霧のたちのぼる
・サイレンながう鳴りわたる今日のをはりの
・病みて一人の朝となり夕となる青葉
・雑草咲くや捨つべきものは捨てゝしまうて
・草や木や死にそこなうたわたしなれども
・五月の空の晴れて風吹く人間はなやむ

山頭火を生きる:五月七日

まさに五月だ。
同朋園の田中さんから、たくさん薬を送つてきた、ありがたし、さつそく服用する。
街で買物、――洗濯盥、たどん、火鉢、鎌、等々。
山へ枯枝拾ひに、それから風呂へ。
△粟餅屋の小父さん、彼とはもう三度目の邂逅だ、私は彼をよく記憶してゐるが、彼は私を覚えてゐないらしい(私がもう乞食坊主の服装をしてゐないから)、街角の彼等から一包を買うて追憶に耽つた。
健が持つてきてくれた饅頭もうまかつたがカステイラもおいしいなあ(ぬけさうな歯が少々邪魔になる)。
今夜はとう/\一睡もできなかつた、終夜読書した。

山頭火を生きる:五月五日

けさも早起、晴れて端午だ。
身辺整理、きれいさつぱり、針の穴に糸が通らないのはさびしかつた。
さみしくなるとうぐひすぶゑ(叡山土産の一つが残つてゐた)をふく、ずゐぶんヘタクソ鶯だね、そこが山頭火だよ。
放下着、死生の外に。――
T子さん来庵、白米を持つてきてくれたのはありがたいが。
寝苦しかつた、肺炎なんて、凡そ私にはふさはしくない。
雑草そのままに咲いた咲いた
おもさは雨の花のあかさ
けふも雨ふる病みほうけたる爪をきらう
・雨のゆふべの人がきたよな枯木であつたか
・どうやらあるけて見あげる雲が初夏

山頭火を生きる:五月四日

放下着、放下着。
やつぱり酒はうまい、雑草はうつくしい。
山口まで、湯田で一浴、廿日間の垢をおとす、おとなしく帰庵、ふとんのしきふをかゝへて(昨日から拾壱円ばかり買つた)。
山のみどり、鯉のぼりのへんぽん、蛙げろ/\。
粉末松葉を飲みつゝ、源三郎さんをおもふ。
・向きあうて湯のあふるゝを(湯田温泉で澄太君と)
風はうつろの、おちつけない若葉も
やつと家が見えだした道でさかなのあたま
・おもひではそれからそれへ蕗をむぎつつ
たどんも一つで事足るすべて

山頭火を生きる:五月三日

五月の空は野は何ともいへない。
湿布とりかへるときなどは、もう一つ手がほしいな。
ぬかなければならない雑草だけぬく、衰弱した体力は雑草のそれにも及ばなかつた。
ありがたいたより(四有三さんから、桂子さんから)。
ちよつと街まで、たゞし、さうらうとして!
五月(サツキ)をはつきり感覚する。
歩けば汗ばむほどの暑さ、珍らしや雀どの、来たか。
おまんまにたまごをかけてたべる――老祖母のこと、母の自殺などが胸のいたいほどおもひだされる。……
友人からの送金で、ふとんを買ふ、それを冬村君に持つて来て貰ふ(夜、自転車で)。
ねむれない夜の百足が這うてきた
這うてきて殺された虫の夜がふける
日だまりの牛の乳房
草の青さで牛をあそばせてゆふべ
・てふてふつるまうとするくもり
暮れてふるさとのぬかるみをさまよふ

山頭火を生きる:五月二日

五時を待ちかねて起床、晴、五月の朝はよいかな。
子の事を考へるともなしに考へてゐる、私はやつぱり父だ!
うれしいたよりがいろ/\。
病人らしくないといつて樹明君に叱られるほど、私は不思議な病人だ、生きのこつたといふよりも死にそこなつた山頭火か。
ちよつと街まで出かけても労れる、間違なく病人だ。
うどん二つ五銭、これが今日の昼食。
春蝉――松蝉――初夏だ。
天地人の悠久を感じる。
湿布する度に、ヱキシカを塗る毎に入雲洞をおもふ。
夕方、敬坊来、約の如く、樹明は手のひけないことがあるので二人だけでFへ行きうまいものをどつさりたべて別れる、彼は東京へ、私は庵へ(彼は私と東京で出逢ふべく、無理に出張さしてもらつたのだが、私が中途で急に帰庵したので、がつかりしてゐた)。
しづかで、しづかで、そして、しづかで。
病臥雑詠
蛙とほく暗い風が吹きだした
病めば寝ざめがちなる蛙の合唱
五月の空をまうへに感じつつ寝床
死にそこなつたが雑草の真実
風は五月の寝床をふきぬける

山頭火を生きる:五月一日

早く起きた、うす寒い、鐘の音、小鳥の唄、すが/\しくてせい/″\する。
雑草を壺に投げす、いゝなあ。
身辺整理、その一つとして郵便局へ投函に。
私の身心はやぶれてゐるけれどからりとしてゐる、胸中何とはなしに廓落たるものを感じる。
北国はまだ春であつたのに、こちらはもう、麦の穂が出揃うて菜種が咲き揃うて、さすがに南国だ。
ありがたいたより、今日は作郎老からのそれ。
食べることは食べるが、味へない。
△誰か通知したと見えて、健が国森君といつしよにやつてくるのにでくはした、二人連れ立つて戻る、何年ぶりの対面だらう、親子らしく感じられないで、若い友達と話してゐるやうだつたが、酒や鑵詰や果実や何や彼や買うてくれた時はさすがにオヤヂニコニコだつた(庵には寝具の用意がないので、事情報告かた/″\、夕方からS子の家へいつてもらつた、健よ、平安であれ)。
午後、樹明君がまた鈴木周二君と同行して来庵(周二君は徴兵検査で帰省中、私の帰庵を知つて見舞はれたのである)、飲む食べる饒舌る、暮れて駅まで送る。
今日はよい日だつた、よい夜でもあつた。
・肌に湿布がぴつたりと生きてゐる五月
草からとんぼがつるみとんぼで
五月、いつもつながれて犬は吠えるばかりで
こんなところに筍がこんなに大きく
・おててをふつておいでもできますさつきばれ
・雑草につつまれて弱い心臓で
病臥雑詠
寝床から柿の若葉のかゞやく空を
柿若葉、もう血痰ではなくなつた
病んでしづかな白い花のちる
蜂がにぎやかな山椒の花かよ
・ぶらぶらあるけるやうになつて葱坊主
・あけはなつやまづ風鈴の鳴る
・山ゆけば山のとんぼがきてとまり
・あれもこれもほうれん草も咲いてゐる(帰庵)